2001-05-27 Sunday
紙芝居2
 
 いま政治は子供のころ見た紙芝居のように続きが楽しみである。紙芝居を面白くしている主人公の熱血漢ぶりに負うところが多いように思う。血わき肉おどる面白さというのと違い、いわば自然体の分かりやすさ。それがこの主人公の真骨頂であろう。
 
 強面の人間でさえ、面と向かえば作り笑いのひとつもする。だからだまされる。「あの人イメージと全然違うよ、とても感じのいい人よ」ということになりかねない。しかしテレビは相手と離れていて、その距離感ゆえに人物を冷静に判断できるメリットがある。だからテレビは恐いのだ。
 
 テレビのない頃、紙芝居は子供の娯楽であるばかりでなく、子供のコミュニケーションの場でもあったとすでに書いた(この日記の5/8)。現代の電気紙芝居となんら変わるところはない。テレビも娯楽であり、コミニュケーションの場としての役目を担っている。
近年パソコンがテレビの地位を脅かさんとしているかのごとく巷間で喧伝され、テレビにはないインターネットの双方向性が取り沙汰されている。
 
 しかしながら、少なくとも現在Web上にテレビの才能豊かな制作者なみの人材はいない。現に、いまみなさんが御覧になっているホームページにしても、テレビより面白いホームページありますか?
あったら教えてほしい。いちいち例を挙げるのもバカバカしいが、NHKスペシャルや一連のBS−2のノンフィクション番組やドキュメンタリーものより優れているWeb上の番組など存在しない。
 
 なぜWeb上の、インターネット上の何百万とひしめきあっているHPがつまらないかというと、ひとことで言えば感動がないからである。人に感動を与えるものとは、小泉さんのようにまっすぐで正直で自然体であるものなのだ。政治家がつまらなくなったのは、この、まっすぐと正直と自然体を欠いているからである。テレビで小泉さんを見ていると、政治家が喪失したその三つがストレートに、生き生きと伝わってくる。
 
 小泉さんはなにもほかの人とかわった事をしているのではない。ただ普通に当たり前の事を自然に言ったり、したりしているだけである。だから見るものに分かりやすく納得されやすい。それが高支持率の最たる原因である。永田町もメディアも、そんな簡単な事が分かっていない。
何故か……。その理由も簡単明瞭、彼らは自分たちが特別な人間だと思っているからである。特別意識という呪縛に取り憑かれ、当たり前の事が見えなくなっているのだ。
 
 小泉さんの言動が感動的であるのは真にわれわれと双方向であるからだ。小泉さんもわれわれも、当たり前の事を当たり前の事として考え、行動しているのである。
当たり前のことのできない、あるいはしたがらない人はもう一度考え直すことです。
 
2001-05-23 Wednesday
千両役者・小泉純一郎
 
 いま私はいささか昂奮気味でこれを書いている。きょう政府はハンセン病訴訟の控訴を断念すると発表した。
詳細は明日の朝刊をお読みになれば明らかでありましょうが、本当に良かったという思いで一杯である。法務官僚や厚生官僚の幹部の方針とは異なる判断を、彼らの反対を押し切り、彼らの殆どを敵に回し、小泉さん、さぞ大変だったろうと思うと涙が溢れてきた。
 
 省庁という大きな壁、そして省庁の利害を守る自民党・族議員という厚い壁が、圧倒的勢力として小泉さんの前に立ちはだかったであろう。政治よりも人道を選んだ小泉さん。人はその選択でさえ政治であると言うかもしれない。しかしながら、いまだかつてこれほどの人道的政治判断をした総理大臣がいたであろうか、戦後56年の間に。いたら教えて下さい。
 
 長年苦しみに苦しんできた方々への補償に税金が使われるなら本望。たれ流しの公共事業(特殊法人がらみ)に税金を捨てるよりはどれほど良いだろう。これでこそ税金も生かされるのである。
 
 虐げられてきた人であればこそ、いつか必ず報われる日の来る事を信じたい。そうでなければ、何を支えに生きていけるのか。小泉さんは、その問いに見事にこたえを出した。私はいま素直に人知の及ばざるところに大きな力の存在することを思う。
誇張と取られても結構、小泉さんは天の配剤だと思います。真の千両役者の到来に拍手喝采!
2001-05-17 Thursday
おやかましうございます
 
 いまはもうない道頓堀・中の芝居、つまり中座では、平成4年から毎年7月「関西・歌舞伎を愛する会」と銘打って、ベテラン・若手の混成部隊で夏歌舞伎をはっていた。中座が閉鎖された後、松竹座に継承され、いまも続いているのは誠に結構。
きょうの話はまだ中座が健在であった頃の話。
 
 さて、塩川さんではないが、それがいつの事であって、どんな狂言であったのか、すっかり忘れてしまった。憶えているのは、勘九郎、八十助(現三津五郎)、翫雀あたりが出ていたような気がするという事だけ。
あの頃は東京の歌舞伎座、明治座、名古屋の御園座、京都の南座など、歌舞伎がかかっていたら、狂言・出演者のいかんにかかわらずまとめ見した時期であったし、いちいち半券やチラシの類を残しているわけのものでもなかった。
 
 中座は建て替える前の南座同様、空調がすこぶる悪かった。場内の夏の暑さはたいへんなもので、扇子・うちわは必需品、狂言の始まる前から客席は扇子の花が揺れ動く。しかし、上記のどの劇場よりも、中座の客は気合いが入っていた。
従って、役者もおのずと気合いが入る。そこが何より中座の中座たるゆえんであった。
 
 それまではいつも一階席で見ていたが、勘九郎が中座の二階は見やすいとか何とか言っていた事もあり、たまには二階で見るのもいいかと思ってそうした。勘九郎が何故ああいう風に言ったのか、いまでも解せないのだが、二階から見る舞台の眺めは良くなかった。しかし、二階ならではの経験ができたのは見つけ物といえる。
 
 二階や三階は、とかくざわめかしく、ひそひそ話は言うに及ばず、足下の紙袋を用もないのに、やたらゴソゴソさわりまくる年寄りがいるかと思えば、役者が登場するたびに、ほれ、○○や!、と隣の知り合いに教えるオバタリアンもいる。 
これが結構うるさい。私は、こういう手合いがいると、必ずといっていいほど「静かにしなさい!」と注意する。舞台に集中できないからである。
 
 その時は特別であった。単に騒がしいとか耳障りとかいう程度のものとは分けが違った。舞台で役者が思い入れたっぷりに演じていたにもかかわらず、まるで自分の家か庭先で、井戸端会議でもしているかのようにしゃべっていたのである。歌舞伎の話ではない、他のタバオリアンの悪口の類をである。オバタリアンがタバオリアンの話をし出すと、もう、どうにも止まらない。 
 
 こういう女どもは、マナーがどうの公衆道徳がこうのといっても通用しない。
ただ厳しく注意するほかないのです。そこでわたしはいつものように毅然として文句を言おうとした。ところが、まさにその矢先、後ろですさまじい声が炸裂した。
 
 「やかましわい!! 静かにせえ!!」
 
 その大きな怒鳴り声は、劇場内にとどろき渡り、客席は勿論、舞台も一瞬水を打ったように静まりかえった。と、その大声の反対方向から、まことにイイ間で別の声がかかった。
 
 「おまえが一番やかましわい!!」
 
 これで客席は爆笑の渦。舞台にいる役者もしばしの間、必死に笑いをこらえていたみたいでした。
 

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