いまはもうない道頓堀・中の芝居、つまり中座では、平成4年から毎年7月「関西・歌舞伎を愛する会」と銘打って、ベテラン・若手の混成部隊で夏歌舞伎をはっていた。中座が閉鎖された後、松竹座に継承され、いまも続いているのは誠に結構。
きょうの話はまだ中座が健在であった頃の話。
さて、塩川さんではないが、それがいつの事であって、どんな狂言であったのか、すっかり忘れてしまった。憶えているのは、勘九郎、八十助(現三津五郎)、翫雀あたりが出ていたような気がするという事だけ。
あの頃は東京の歌舞伎座、明治座、名古屋の御園座、京都の南座など、歌舞伎がかかっていたら、狂言・出演者のいかんにかかわらずまとめ見した時期であったし、いちいち半券やチラシの類を残しているわけのものでもなかった。
中座は建て替える前の南座同様、空調がすこぶる悪かった。場内の夏の暑さはたいへんなもので、扇子・うちわは必需品、狂言の始まる前から客席は扇子の花が揺れ動く。しかし、上記のどの劇場よりも、中座の客は気合いが入っていた。
従って、役者もおのずと気合いが入る。そこが何より中座の中座たるゆえんであった。
それまではいつも一階席で見ていたが、勘九郎が中座の二階は見やすいとか何とか言っていた事もあり、たまには二階で見るのもいいかと思ってそうした。勘九郎が何故ああいう風に言ったのか、いまでも解せないのだが、二階から見る舞台の眺めは良くなかった。しかし、二階ならではの経験ができたのは見つけ物といえる。
二階や三階は、とかくざわめかしく、ひそひそ話は言うに及ばず、足下の紙袋を用もないのに、やたらゴソゴソさわりまくる年寄りがいるかと思えば、役者が登場するたびに、ほれ、○○や!、と隣の知り合いに教えるオバタリアンもいる。
これが結構うるさい。私は、こういう手合いがいると、必ずといっていいほど「静かにしなさい!」と注意する。舞台に集中できないからである。
その時は特別であった。単に騒がしいとか耳障りとかいう程度のものとは分けが違った。舞台で役者が思い入れたっぷりに演じていたにもかかわらず、まるで自分の家か庭先で、井戸端会議でもしているかのようにしゃべっていたのである。歌舞伎の話ではない、他のタバオリアンの悪口の類をである。オバタリアンがタバオリアンの話をし出すと、もう、どうにも止まらない。
こういう女どもは、マナーがどうの公衆道徳がこうのといっても通用しない。
ただ厳しく注意するほかないのです。そこでわたしはいつものように毅然として文句を言おうとした。ところが、まさにその矢先、後ろですさまじい声が炸裂した。
「やかましわい!! 静かにせえ!!」
その大きな怒鳴り声は、劇場内にとどろき渡り、客席は勿論、舞台も一瞬水を打ったように静まりかえった。と、その大声の反対方向から、まことにイイ間で別の声がかかった。
「おまえが一番やかましわい!!」
これで客席は爆笑の渦。舞台にいる役者もしばしの間、必死に笑いをこらえていたみたいでした。
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