ポルトガル・シントラには貴族や資産家の豪華な館(Quinta=キンタ)が散在しています。その中でも、この館はホテルになっていて、幸運な宿泊客を受け入れています。
「セテアイス」とは「Sete=七つ Ais=ため息」の意。「七つのため息の宮殿」です。
19世紀初頭、ポルトガルに援軍を送った英国とナポレオン軍との間に締結された「シントラ協定」(1808年8月30日)がポルトガルと英国に不利な協定で、ポルトガルからのフランス軍の撤退を英国の船舶で行うことが明記され、撤退後もフランスの非戦闘員はポルトガルにとどまってもよいことが記されていました。
さらに、ポルトガル人でフランス側に占領中味方し、売国奴的行為を行った者たちの安全を英国軍の名の下に保証するということまで盛り込まれていました。すっかり落胆した高官が7回ため息をついたとか。
これに憤慨した英国民は多く、なかでもワーズワースは「シントラ協定論」を発行、シントラ協定をクソミソにこきおろし、ポルトガル国民の抵抗(フランスに対する)を絶賛、また、英国の将軍・ウェリントンを評価しつつ、シントラ協定のいいかげんさを厳しく批判しました。民族の独立なしに真の自由なしというワーズワースの真情が吐露されており、ロマン主義の面目躍如たるものを感じます。
パラシオ・デ・セテアイスの画像は「ホテル紀行U」(下のバナー)の「Palacio De Seteais」にもあります。
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