いつの世もこころの何処かに持ち続けているもののひとつ。自分と違う何かになって、自由に飛び跳ねたい、悪者を退治したい、片想いの彼を振り向かせたい、相手を見返してやりたいなどなど、変身願望は人様々。
私は子供の頃「怪傑まぼろし頭巾」になりたかった。鞍馬天狗や怪傑黒頭巾は、ふたりの自分を使い分けるだけであるが、まぼろし頭巾は、いかようにも姿を変えます。ある時は易者、またある時は飴売り、はたまたある時は角兵衛獅子、さてまたある時は道場破り、まだアルある時は傘貼り浪人、まだまだあります夜泣き蕎麦屋。
ちなみに、まぼろし頭巾役を演じるのはわれらが大友柳太郎。
その変幻自在のわざの見事さと素早さに夢中になったものです。
今でも、歌舞伎の早替わりが好きで、猿之助の「伊達の十役」や各種スーパー歌舞伎、勘九郎の「怪談乳房榎」などの狂言の上演日程が分かると、先行予約日の来るのをしびれを切らして待ち、2台の子機とにらめっこしながら必死にリダイヤルする。
私は十年ほど前まで自ら脚本、音楽、衣装を手がけ、素人劇を年に二回上演していたが、もしかしたら、これは変身願望の発露かもしれない。
第一回目は「異聞西遊記・桜蘭篇」。この時は村人役。せりふは、誘拐された桜蘭王国の姫君の事を噂しつつ、「かわいそうじゃのう、なんとかならんかのう」だけ。
第二回目は「異聞源氏物語・紫の上」。この時は悪人の内大臣・藤原実資役。平安時代最高のポルノ小説の傑作が、室町時代の陰謀小説に様変わりします。
オムニバス形式の「地蔵物語」、さきの源氏や西遊記のパート2、パート3もやりました。映画「だまされてリビエラ」からヒントを得て、詐欺師、ペテン師ものにも手をつけた。その時は言うまでもなく詐欺師の役。
もうひとりの詐欺師と丁々発止のせりふのやり取りをして、お客の受けもよおござんした。でも、結局、ふたりの詐欺師は役者が一枚上のペテン師にコロッとだまされる。
私が最も思い出深いのは、16世紀末の英国・テューダー朝の危機と、スペイン王国の暗躍を背景とした「騎士物語」。
アラミスという吟遊詩人の役。ただの吟遊詩人ではありません。ある時は王家存亡の危機を宝くじ発行によって救おうとする、いわば国王の知恵袋。
この「騎士物語」は第三部まで上演しました。第二部では悪の権化・スペイン王までやり、おおかたの憎しみを買いました。
第三部はアラミスとスペイン王の二役で、八面六臂の活躍(これを誇張という)。
いったん、悪は退散するかに見えるのですが、巨悪は滅びません。まことに腹立たしいかぎりではありますが、歴史の実相というのは巨悪の不滅であり、かりにA国で滅びたとしても、B国やC国などに別の巨悪が出現し、歴史は永遠にその繰り返しです。
この「騎士物語・第三部」で、国王・エドワード6世と侍女のミリアムを前にしてのアラミスのせりふ「みな精一杯生きてきたのです。精一杯生きて、わたしたちに生きることの尊さを教えてくれたのです」。
そして、国王のせりふ「本当にそうであったのだろうか……。アラミス、イングランドに王は必要だろうか」。
アラミス「必要でございます」。
王「なにゆえに」
アラミス「エドワード様ご自身の行動が王の必要であることを証明しております。王としての誇りをもち、自ら剣をとり勇猛果敢に敵と戦い、イングランドと国民をお守りになった……。王は厳然と存在し、かつ必要なのでございます」。
王「わたしにはわからぬ」
アラミス「いずれ時が来たら必ずおわかりになります。では、エドワード様、ミリアム様、これでおいとまいたします」
わたしのその後の人生は、この時のせりふの通り、おいとまの人生になりました。もし、いまのわたしに変身が許されるのなら、わたしは龍に変身したい。心の底からそう思っています。
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