2001-05-13 Sunday
砂の器
 
 2001年5月11日熊本地裁においてある判決が下された。
 
「ハンセン病隔離は違憲」というもので、熊本地裁・杉本政士裁判長は、「国会が改廃を怠った(96年廃止された“らい予防法”は65年には廃止すべきであったのに、それを怠った。WHOは、60年以降は隔離の必要性はないと勧告していた)と断じた。この画期的判決を知り、私は松本清張作、野村芳太郎監督、映画「砂の器」を思い出した。
 
 「砂の器」は、かつて「らい病」と呼ばれ差別を受けた、ハンセン病の父とその子の物語である。父は自らの病気のため村に留まれなくなって、お遍路姿に身を変え、息子を連れて旅に出る。
家の軒先を尋ねては米や食べ物をもらい、夜になると雨露をしのぐ場所での野宿。悪童から投石される日々もしばしばあり、あるときは山中、あるときは田んぼのあぜみち、またあるときは海辺の砂浜をひたすら歩き続ける。
 
 父と子が粗末ななりをして、あてどもなく歩くシーンがえんえんと続くのだが、そのせりふもない父子の背景は、えもいわれぬほど美しい海であり、山なのだ。そして、たとえようもなくものがなしい音楽。
 
 私はこの光景と音楽をいまも思い出しては目頭が熱くなる。そのときは音楽・芥川也寸志としての材料しかなかったが、後年、ホロヴィッツのピアノ曲CDを収集しているさなか、あのシーンの音楽はスクリャービン「エチュード嬰ハ短調 作品2−1」と、同「エチュード嬰ニ短調 作品8−12」と分かった。
 
 「砂の器」で父親役を演じていたのは加藤嘉。一度新幹線の中で会った事がある。まだ学生だった頃、新大阪から東京までの道中、加藤嘉は京都から乗ってきた。
ひとことで印象を述べるのは至難のわざではあるが、あえていうと日本人離れした雰囲気と、圧倒的存在感の持ち主であった。英国や欧州の俳優には何人かいるが、この国にはみあたらない個性。
 
 息子を演じていた子役もうまかった、名前は失念したが。
他に駐在所の親切なお巡りさん役に緒形拳、刑事役に丹波哲郎、息子が長じて和賀英良という指揮者役に加藤剛など。
私は、「砂の器」はおとなになってみた日本映画の中での最高傑作、日本映画不朽の名作であると、いまも、そしてこれからもずっと思い続けるだろう。
 
 誤解を恐れずにいうと、熊本地裁の裁判官は、もしかしたら「砂の器」をみているような気がする。現実のハンセン病患者の方にお会いするのと同じくらい、いえ、もしかしたらそれ以上のかなしさを、どうして人間であることがこんなにも悲しいのかという事を訴える力を、映画「砂の器」は持っているのです。
 
2001-05-11 Friday
変身願望
 
 いつの世もこころの何処かに持ち続けているもののひとつ。自分と違う何かになって、自由に飛び跳ねたい、悪者を退治したい、片想いの彼を振り向かせたい、相手を見返してやりたいなどなど、変身願望は人様々。
 
 私は子供の頃「怪傑まぼろし頭巾」になりたかった。鞍馬天狗や怪傑黒頭巾は、ふたりの自分を使い分けるだけであるが、まぼろし頭巾は、いかようにも姿を変えます。ある時は易者、またある時は飴売り、はたまたある時は角兵衛獅子、さてまたある時は道場破り、まだアルある時は傘貼り浪人、まだまだあります夜泣き蕎麦屋。
ちなみに、まぼろし頭巾役を演じるのはわれらが大友柳太郎。
その変幻自在のわざの見事さと素早さに夢中になったものです。
 
 今でも、歌舞伎の早替わりが好きで、猿之助の「伊達の十役」や各種スーパー歌舞伎、勘九郎の「怪談乳房榎」などの狂言の上演日程が分かると、先行予約日の来るのをしびれを切らして待ち、2台の子機とにらめっこしながら必死にリダイヤルする。
 
 私は十年ほど前まで自ら脚本、音楽、衣装を手がけ、素人劇を年に二回上演していたが、もしかしたら、これは変身願望の発露かもしれない。
第一回目は「異聞西遊記・桜蘭篇」。この時は村人役。せりふは、誘拐された桜蘭王国の姫君の事を噂しつつ、「かわいそうじゃのう、なんとかならんかのう」だけ。
 
 第二回目は「異聞源氏物語・紫の上」。この時は悪人の内大臣・藤原実資役。平安時代最高のポルノ小説の傑作が、室町時代の陰謀小説に様変わりします。
 
 オムニバス形式の「地蔵物語」、さきの源氏や西遊記のパート2、パート3もやりました。映画「だまされてリビエラ」からヒントを得て、詐欺師、ペテン師ものにも手をつけた。その時は言うまでもなく詐欺師の役。
もうひとりの詐欺師と丁々発止のせりふのやり取りをして、お客の受けもよおござんした。でも、結局、ふたりの詐欺師は役者が一枚上のペテン師にコロッとだまされる。
 
 私が最も思い出深いのは、16世紀末の英国・テューダー朝の危機と、スペイン王国の暗躍を背景とした「騎士物語」。
アラミスという吟遊詩人の役。ただの吟遊詩人ではありません。ある時は王家存亡の危機を宝くじ発行によって救おうとする、いわば国王の知恵袋。
 
 この「騎士物語」は第三部まで上演しました。第二部では悪の権化・スペイン王までやり、おおかたの憎しみを買いました。
第三部はアラミスとスペイン王の二役で、八面六臂の活躍(これを誇張という)。
いったん、悪は退散するかに見えるのですが、巨悪は滅びません。まことに腹立たしいかぎりではありますが、歴史の実相というのは巨悪の不滅であり、かりにA国で滅びたとしても、B国やC国などに別の巨悪が出現し、歴史は永遠にその繰り返しです。
 
 この「騎士物語・第三部」で、国王・エドワード6世と侍女のミリアムを前にしてのアラミスのせりふ「みな精一杯生きてきたのです。精一杯生きて、わたしたちに生きることの尊さを教えてくれたのです」。
 
そして、国王のせりふ「本当にそうであったのだろうか……。アラミス、イングランドに王は必要だろうか」。
 
アラミス「必要でございます」。
王「なにゆえに」
アラミス「エドワード様ご自身の行動が王の必要であることを証明しております。王としての誇りをもち、自ら剣をとり勇猛果敢に敵と戦い、イングランドと国民をお守りになった……。王は厳然と存在し、かつ必要なのでございます」。
 
王「わたしにはわからぬ」
アラミス「いずれ時が来たら必ずおわかりになります。では、エドワード様、ミリアム様、これでおいとまいたします」
 
 わたしのその後の人生は、この時のせりふの通り、おいとまの人生になりました。もし、いまのわたしに変身が許されるのなら、わたしは龍に変身したい。心の底からそう思っています。
2001-05-08 Tuesday
紙芝居
 
 家庭の中にまだテレビの少なかった頃の話です。
 
 子供の数少ない娯楽のうちで、重要な位置を占めていたのが紙芝居。紙芝居屋はひとりで町から町へと自転車をこいで、首を長くしている子らのために、週に六度、いつもの時間、いつもの場所へとやって来る。
かれは到着して、ひととおり常連の顔を見渡し、だれかひとりでも欠けていると、必ず○○ちゃんどうかしたんか?と訊く。
悪童どもは待ってましたとばかりに、「○○ちゃん、アイスキャンデー食べ過ぎて、腹痛(はらいた)おこして家で寝とる」、とかなんとか面白がってはやし立てる。
 
 紙芝居屋はそれを聞いて、「なんや、心配して損した、アホなやっちゃな」とか言う。内心は、ウチのアイスクリームを食べ過ぎての腹痛でなくてホッとしているのであるが。アイスクリームは季節限定商品、夏場以外は水飴、柔らかく甘いスルメ、とろんとした酢昆布が定番でござる。
 
 紙芝居の始まる前はザワザワと賑やかだった連中も、いざ始まると水を打ったようにシーンと静まりかえるのであります。
紙芝居は子供の社交場、子供対子供、子供対紙芝居屋のコミュニケーションの場、これが本当の意味での双方向。
 
 いま若い世代で「ひきこもり」が社会問題化している。ひきこもりの主たる原因は近年、インターネット、テレビゲームなどであるらしい。
家の中での遊びに熱中しすぎる子達の一部がひきこもり現象に感染するという。わたしたちの時代はネットはおろか、ゲームもなかったし、テレビさえ持っていない家庭が多かったので、まず、ひきこもりなど起こりようもなかった。
 
 時代はどんどん先へ進み、世の中は殺伐とし、この先何が起こるか全く見えない時代に突入した。
 
 さて、紙芝居屋の事ですが、日曜以外は毎日来ていた彼が、ある時二週間ほど来なかった事がありました。とにかく元気で、体力そのものという感じの紙芝居屋だったから、どうしたのかと心配していました。  ある日、むこうからトボ、トボ、トボと「心中天網島」の紙治同様、まるで魂の抜け殻みたいに歩いて来た。
 
 ふだんは自転車に乗っているのですが、この時は自転車から降りて、手こぎでした。わたしと目が合うと、ぼんやりこちらを見ていましたが、突然なにかを訴えるような目になり、わたしの方に近寄って、こう言いました。
 
 「○○ちゃん、長いこと来られへんでゴメンな……。あのな、ウチのおかあちゃんが死んでしもて、そいで、悲しうて、辛うて、何にも手につけへんで………」。
  
 それだけ言うのがやっと、後は言葉にならず、目に一杯涙をためて絶句したのです。奥さんを亡くすということが、かくも耐えられない事かと思いました。
 
 いま、その時の紙芝居屋の気持ちが痛いほど分かります。
 

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