2001-05-03 Thursday
世界一おいしいイチゴ
 
 時期的にちょうどよかった。よもや英国でこんなにうまいイチゴを食べれるとは、夢にも思っていなかった。右の建物はウェールズのハーレフ城からほど近い「マイズ・イ・ニューアス」(MaesーyーNeuadd’s)という14世紀のホテル。B4573号線から草ぼうぼうの極細の道に入って、草をかきわけ、かきわけて、しばらく行くとだだっ広い場所に出る。それがこのホテルで、スノードン山が一望でき、こんもりとした森に囲まれ、農園、果樹園の宝庫。
 
 前日、チェスターから電話を入れ、昼食の予約(午後1時)をした。ここのレストランの味を一度試してみたいとかねがね思っていて、念願の叶う日がようやく来たのである。ハーレフ城も見たかったから、これこそ、願ったり叶ったりであった。
 
 6月21日午後1時15分、車はこのホテルへ滑り込んだ。ホテルはチェック・アウトとインの狭間でガランとして、客の姿も見えなかったが、それも幸いした。フロント係は映画「アマデウス」のモーツアルトを老けさせたような男で、昼食後この人の親切丁寧な案内で、ホテルの様々なタイプの部屋を見ることができた。
 
 なぜアマデウスかというと、あの映画をみた人はご存知であろうが、モーツアルトはやたらとケタケタ笑う、その笑い方といい、声の調子といい、映画のモーツアルトそっくりなのであった。ついでに言うと、顔まで似ていたのである。
 
 お昼は各種のランチが用意されていて、どれもバラエティに富み、リーズナブルなお値段。どのタイプのランチもスープ(4種類)or前菜(4種類)、肉料理(3種類)or魚料理(3種類)、デザート(5種類)の選択は自由。レストランはわたしたちの貸し切り。
 
 おいしい料理もクライマックスを迎え、いよいよデザート。わたしのつれあいは5種類のデザートの中から、バニラ、チョコレート、ブルーベリーの三色アイスクリームを選びました。これが一番ボリュームもありそうで、自家製アイスクリームだから、きっと、他所(よそ)にはない味と思ったのでしょう。わたしはここの畑で収穫されたイチゴをオーダーした。
 
 つれあいの注文したアイスクリームはおいしかったらしい。しかし、わたしのイチゴは、この世のものとは思えない無類のうまさ。色、形、大きさ、つや、香り、甘さ、、舌触り、奥深さ、余韻、どれをとっても絶品。
 
 この世にこんなにおいしい食べ物があるんですな。昔、神戸の木幡(押部谷)にあるイチゴ農家で、畑になっていた完熟イチゴ(高級料亭に卸していた極上もの)をその場で食べさせてもらった事がありまして、それが一番おいしいと思っていましたが、なかなか世界は広い。
 
 勿論、このホテルのイチゴ、つれあいにも食してもらいました、2個だけ。イチゴを口に頬ばって、つれあいが洩らした深いため息、ちょっとここではお伝えできません。
 
 「ああ、わたしもイチゴを頼めばよかった」
かろうじてそう言うのが精一杯であったようです。
 
 果物大好き少女であったキティちゃん(この日記の最初のほうにあります)にも食べさせてあげたいな、と思ったのでありました。
2001-04-29 Sunday
美しい馬
 
 99年6月、三週間ばかり英国を車で周遊していると、道で様々な光景と出会い、英国の緑の多さと美しさにあらためて敬意を表したくなるのですが、どんな出会いも背景の緑に溶けあって、いっそう引き立つから不思議です。
南西イングランドや北部ヨークシャーなどをのんびりドライブするのは、もうそれだけで心が解放されて、ああ、わたしは、この風景と出会い、この清々しい空気と爽やかな風を肌で満喫するために生かされてきたのか、と思えるほどの満足感がある。
 
 果てしなくつづく直線道路をゆっくり、自分のペースを守りつつサイクリングしている年輩の男女とすれ違うたびに、思わずお辞儀をして尊敬の念をあらわしたことも何度あったことでしょう。彼らのすべてが、自然の中の緑豊かな木々や、彩りもあでやかな花々のように生き生きとして美しいのです。
 
 サイド・カーに乗った熟年夫婦もずいぶん見ました。メインの車もそれに接続するサイド・カーもオープン・カーなので、風をまともに受ける。そして、風が彼らの髪や、首に巻いたスカーフをなびかせ、ひるがえさせるのですが、これが実にさまになっている。
すれ違いざま、お互い手を振って親愛の情を示すのですが、このありきたりの行為が、背筋がゾッとするほどの快感となります。そんなバカな、とお思いでしょうが、さにあらず、古き良き時代の外国映画の一場面と重なるのです。あちらはオードリー・ヘプバーンとグレゴリー・ペック、こちらはグレース・ケリーとウィリアム・ホールデン。お似合いのカップルどうしであります。(ハッハッハッ!!)
 
 颯爽と乗馬服に身を包んだ若い娘さんも何度か見かけました。馬もツヤツヤできれいですが、鞍上の妙齢の女性はさらに気品と美しさで輝かんばかり。人馬一体となっているさまは一幅の絵です。もしかしたら、そんな中に障害レースに出場するような女性騎手がいたかもしれません。
 
 かつて、日本の競走馬の世界にテンポイントという馬がいました。四歳クラシック戦線には一勝もできず(皐月賞はトウショウボーイ、ダービーはクライムカイザー、菊花賞はグリーングラスが優勝)、ダービーで足にけがをした不運な名馬。
四歳時は菊花賞、有馬記念ともに二着でしたが、翌年の春の天皇賞一着、有馬記念も一着、文字通り真の名馬となるのです。
 
 このテンポイント、顔も二枚目ですし、目が可愛い。名馬というのは一様に目が可愛く、姿も美しく、おまけに利口ですが、テンポイントはその点傑出していました。ほれぼれするような、という言葉があれほどふさわしい馬もあまりいないと思います。
最近テイエムオペラオーという強い馬の出現に競馬界はわきたっていますが、テイエムオペラオーもテンポイント同様、名馬の資格は十分以上。わたしは実績の事を言っているのではありません。名馬は強い。それは当たり前の事です。ただ強いだけではない、美しく可愛く利口なのが名馬の名馬たるゆえんであります。
 
 とりわけ、美しいということは他のすべてに勝ると思うのです。なぜなら、強かったという記録の詳細はえてして忘れますが、美しかった、可愛かったという記憶は、時間が経っても決して色あせることなく、脳裡にとどまってくれると思うからです。
 
 きょう、テイエムオペラオーが天皇賞を制しました。春、秋、春と三連覇だそうです。かれの美しい姿と可愛い目を見ると、ついついテンポイントを思い出してしまいます。
わたしは約十二年競馬を見、馬券も購入してきましたが、テンポイントが冬の京都競馬場で不幸な事故(足の骨折)にあい、多くの人の懸命の努力にもかかわらず治癒できず死んでしまって以来、競馬から完全に足を洗いました。
 
 いまでも、テイエムオペラオーのような可愛くて美しい馬を見ると、在りし日のテンポイント、そして、その頃の私自身を思い出してしまうのです。
 
2001-04-25 Wednesday
ヨークの夫婦
 
 96年秋、プラハを旅した時のこと、わたしたちは市内の旅行代理店でカルロヴィ・ヴァリへの日帰りバスツアーを予約をした。現地で予約したのは、日本で予約する場合の半分以下の費用で事足りる、つまりSave Money。
翌朝、バスの発着場所のヒルトンホテルまで行き、そこで他の参加者と合流後バスは出発した。
 
朝立って夜帰るというツアーなので、途中昼食を参加した国際色豊かな人々と共にするのであるが、これも楽しみのひとつ。
バスはプラハ郊外の田園風景の中を2時間ほどひた走り、ボヘミアン・グラスの工場に立ち寄った。このクリスタル・グラスの工房を見学するのも、行く前から関心事のひとつであった。
 
 前にヴェネチアのムラーノ島で、ヴェネチアン・グラス工房を見学し、目の前で高温の液体が形と生命を与えられていく様に一種いいようのない感動におそわれたことがあった。その感動よもう一度というわけです。
もの作りしている光景というのは良いものです。作る人も見る人も、束の間、世の憂きことを忘れて熱中できます。そしてそれからバスはチェコ有数の温泉地カルロ・ヴィ・バリに到着し、そこで昼食休憩となりました。昼食は町の瀟洒なホテルのレストラン、一つのテーブルに十名が座った。英語のバス・ツアーなので、英国やオーストラリアからの旅行客が殆どで、若い女性もいたが、残りは中年か熟年世代。
 
 よもやま話に花が咲き、2時間半ほどの間にいろんな話が噴出し、おおいに盛り上がったのである。みな旅慣れているし、年齢もそこそこ行っているから話題も豊富、花の咲かないわけがない。英国はユーモアの国ですな、EUの参加・不参加の話から通貨の話になり、ユーロが米ドルに対抗できるか否かに移行、ついでチェコの通貨クローネの話へと変わった。
 
 たまたま私たちは前夜国立歌劇場でオペラ「リゴレット」を観ていて、プラハのオペラ観劇料がウィーンや日本に較べていかに安いかを説明するのに、英国ポンドなら幾ら、オーストラリア・ドルなら幾ら、米ドルなら幾らと暗算で素早く換算したら、英国人のひとり、中年男性がすかさずこう切り返してきた。 「君はBankerか?」
 
 そんな英国人の中に実直そうなご夫婦が一組いて、そのご夫婦の知り合いの奥さんから、いわゆるゴーフルですな、それをもらってバリバリ食べていたら、「おいしいですか?」と訊いてきた。
「おいしいですが、日本のほうがもっとおいしいですよ」なんて言ったら、「それはそうでしょう」なんて笑っておられた。
わたしのつれあいとは随分はなしをしていたようです。
 
 すっかりうちとけて、帰りのバスでは名残が惜しくなり困りました。名残が惜しくなったのはわれわれだけかと思っていたら、違ってた。
バスがプラハのヒルトンホテルに到着した時、その実直そうなご夫婦のご主人がつれあいのところへ来て、ほっぺにキスをし、なんとも言えない表情でただひとこと「Good bye」とおっしゃった。
 
 その夜、わたしたちは顔を見合わせ、どちらからともなく言ったのでした。「いつか必ずヨークへ行こうね」と。
 そのご夫婦は英国のヨークに住んでいるのです。そして三年後、わたしたちはヨークへ行きました。わたしたちが英国行きを決意したのは、他のなんでもありません、その時のあのご主人の顔が忘れられなかった、ただそれだけの事からでした。
 
 英国がわたしたちにとって忘れる事のできない国になったのは1999年初夏のことでした。同じ年の10月1日、よもや再び英国に行くことになろうとは、そしてエリザベス女王に会うことになろうとは。

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