96年秋、プラハを旅した時のこと、わたしたちは市内の旅行代理店でカルロヴィ・ヴァリへの日帰りバスツアーを予約をした。現地で予約したのは、日本で予約する場合の半分以下の費用で事足りる、つまりSave Money。
翌朝、バスの発着場所のヒルトンホテルまで行き、そこで他の参加者と合流後バスは出発した。
朝立って夜帰るというツアーなので、途中昼食を参加した国際色豊かな人々と共にするのであるが、これも楽しみのひとつ。
バスはプラハ郊外の田園風景の中を2時間ほどひた走り、ボヘミアン・グラスの工場に立ち寄った。このクリスタル・グラスの工房を見学するのも、行く前から関心事のひとつであった。
前にヴェネチアのムラーノ島で、ヴェネチアン・グラス工房を見学し、目の前で高温の液体が形と生命を与えられていく様に一種いいようのない感動におそわれたことがあった。その感動よもう一度というわけです。
もの作りしている光景というのは良いものです。作る人も見る人も、束の間、世の憂きことを忘れて熱中できます。そしてそれからバスはチェコ有数の温泉地カルロ・ヴィ・バリに到着し、そこで昼食休憩となりました。昼食は町の瀟洒なホテルのレストラン、一つのテーブルに十名が座った。英語のバス・ツアーなので、英国やオーストラリアからの旅行客が殆どで、若い女性もいたが、残りは中年か熟年世代。
よもやま話に花が咲き、2時間半ほどの間にいろんな話が噴出し、おおいに盛り上がったのである。みな旅慣れているし、年齢もそこそこ行っているから話題も豊富、花の咲かないわけがない。英国はユーモアの国ですな、EUの参加・不参加の話から通貨の話になり、ユーロが米ドルに対抗できるか否かに移行、ついでチェコの通貨クローネの話へと変わった。
たまたま私たちは前夜国立歌劇場でオペラ「リゴレット」を観ていて、プラハのオペラ観劇料がウィーンや日本に較べていかに安いかを説明するのに、英国ポンドなら幾ら、オーストラリア・ドルなら幾ら、米ドルなら幾らと暗算で素早く換算したら、英国人のひとり、中年男性がすかさずこう切り返してきた。 「君はBankerか?」
そんな英国人の中に実直そうなご夫婦が一組いて、そのご夫婦の知り合いの奥さんから、いわゆるゴーフルですな、それをもらってバリバリ食べていたら、「おいしいですか?」と訊いてきた。
「おいしいですが、日本のほうがもっとおいしいですよ」なんて言ったら、「それはそうでしょう」なんて笑っておられた。
わたしのつれあいとは随分はなしをしていたようです。
すっかりうちとけて、帰りのバスでは名残が惜しくなり困りました。名残が惜しくなったのはわれわれだけかと思っていたら、違ってた。
バスがプラハのヒルトンホテルに到着した時、その実直そうなご夫婦のご主人がつれあいのところへ来て、ほっぺにキスをし、なんとも言えない表情でただひとこと「Good bye」とおっしゃった。
その夜、わたしたちは顔を見合わせ、どちらからともなく言ったのでした。「いつか必ずヨークへ行こうね」と。
そのご夫婦は英国のヨークに住んでいるのです。そして三年後、わたしたちはヨークへ行きました。わたしたちが英国行きを決意したのは、他のなんでもありません、その時のあのご主人の顔が忘れられなかった、ただそれだけの事からでした。
英国がわたしたちにとって忘れる事のできない国になったのは1999年初夏のことでした。同じ年の10月1日、よもや再び英国に行くことになろうとは、そしてエリザベス女王に会うことになろうとは。
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