まだ若いつもりであるし、現に若いのであるが、もっと若い頃から悩まされ続けていることがある。まず耳が悪い。これは語学をやる上で致命的な欠陥。会話時、相手の言っていることの聞き分けが耳のせいで困難をきわめるのだ。
大きな声でハッキリ言ってもらえれば良いが、早口で、しかも聞き取りにくい発音で喋られたら、もうお手上げ。もう一度ゆっくり言ってくださいとはいえても、おたく訛っていますよとは口が裂けてもいえません。
次に頭が……、というと、本気にする人がいそうなのでこれはよす。10年ほど前「一過性脳虚血症」というのに罹り、丸1年間通院した事がある。
96年9月末、わたしとつれあいはまずプラハに5日滞在し、それからウィーンに移動した。
ウィーン滞在二日間はポカポカ陽気に恵まれ身体も快調だったのだが、三日目は小雨の降る肌寒い日で、なんかイヤな予感がしていた。
翌日は雨こそ降らなかったけれど、一日中雲が狂人の額のように低くたれこめ、10月初旬にしては日中の最高気温が5度と真冬の寒さ。
ウィーンには四日間滞在し、鉄道でザルツブルクに移動した。
ザルツブルクのホテルに午後1時半頃チェックインして、すぐさま薬局探しにとりかかった。
もうこれ以上放っぱらかしにはできない。事は急を要する。
旅行に出るとき常備薬として必ず持ってきた薬を、そのとき初めて忘れたのである、最初に「若い頃から悩まされ続けている」と記した持病の薬を。
さあこれが大変、ドラッグストアもメディスンも通じない。さらに困ったことに、頼りにしていたわたしのつれあいが「薬局」をドイツ語でどういうのか忘れたという。
ザルツブルクの目抜き通り、ゲトライド・ガッセを行ったり来たり、地元の人らしい通行人に尋ねたがラチがあかない。
仕方なくホテルに戻ってコンシェルジュに訊いた。コンシェルジュなら英語が通じるから。
ようやくだいたいの場所が分かり、教わったとおりに行ってみた。人を馬鹿にするにもホドがある。
ホテルから50bくらいのところにあった。その前を何回往復したことか。
わたしのつれあいは、早く市内観光したいといいながら、そこいら中を走り回ってくれた。
しかし、その店構えといいウィンドウのディスプレイといい、どう見ても薬局にはみえない。欲目にみても、趣味の店かアンティークショップ。
飾り窓には、美しいアートフラワーが品よく鎮座ましましていただけ。それ以外は何もなし。まあ、知らないというのはこういうことでありましょう。
そして薬局の中でも一悶着。
わたしの持病をドイツ語で何というのかわからない。
英語で言っても通じない。
バッグに忍ばせた和独辞典にも載っていない。ホトホト困った。
お尻に手を当てたり、人差し指と中指の間から親指を出して、相手の目の前に突き出したらニンマリ笑われた。ほかの意味、つまりエッチな、そのものズバリのアレに思われたのである。ジェスチュアもよしあしです。
「やまいだれに TEMPLE じゃ!」と叫びたくなった。無駄とは分かっていても。
すったもんだの挙げ句、奥から分厚い英独辞典を持参してきた。あるならサッサと持ってきなさい、サッサと。それでようやくケリがつきました。
Hemoでした、ドイツ語で。こんな簡単な、しかも日本語化している言葉なのに、どうして思い出せなかったのかと歯ぎしりしても後の祭り。この日の市内観光は結局、薬局探しに明け暮れた。
薬局はドイツ語でApotheke(アポテケ)、死んでも忘れません。
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