わたしはこの「たとえば」がどうにもイヤである。
テレビのトーク番組、ここで普通は“たとえば”と書くところであろうが、わたしは書かない、、書かずに「サンディ・プロジェクト」や「朝まで生テレビ」などにコメンティターとして登場してくる人の多くは、と書く。
彼らはこの「たとえば」をやたらと多用する。ああまで「たとえば」を使用せずとも話は展開するし、使わないからメリハリが損なわれるというものでもない。なのに使う。わたしにはその理由が理解できない。口癖なのだろうかとひとり嘆息するだけである。
1995年3月20日夕刻、わたしはつれあいと香港から帰国した。この年は阪神大震災の年なのでよく憶えている。
関空から南海電車で難波まで来て、夕刊を読みたかったので売店に足をすすめた。
夕刊は全くなかった。スポーツ紙すら一部もなかった。
地下鉄御堂筋線・難波駅でも同様。はては阪急・梅田駅のすべての売店でも夕刊は売り切れていた。
すでに難波駅で変だなと思っていたから、地下鉄の車内で夕刊を開いている人の紙面を覗き込んだ。
「東京の地下鉄構内で毒ガス発生○人死亡」という大見出しが載っていた。
後に「地下鉄サリン事件」と呼ばれた大事件である。
この首謀者とされる「オウム真理教」の麻原某が、上記のテレビ番組、その他のインタビューで盛んに「たとえば」を使用していた。
この麻原某がテレビに初めて「たとえば」を持ち込んだのではないかと錯覚するくらい「たとえば」、「たとえば」を繰り返した。あの声がわたしの耳にいまだに焼き付いているのだ。テレビで誰かが「たとえば」と言うと、イヤな顔と声を思い出すのである。
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