この季節になると必ず思い出すのは北海道の紅葉のたとえようのない美しさ雄大さである。東北の奥入瀬、裏磐梯、五色沼の紅葉もあるいは雄大、または美麗であり、厚みのある錦絵をみているようなゴージャスな気分にひたることができ、北海道と甲乙つけがたい趣だが、やはり、ニセコや大雪山系などの紅葉のほうがみごたえがあると思う。
いや、みごたえという表現はそぐわない、心をゆさぶる度合いというか、心を揺り動かす強さが、北海道の紅葉のほうがより強烈なのである。
私は一時札幌に住んでいたこともあり、道内の紅葉の名所はだいたい知っている。知ってはいるが、10月上旬〜10月中旬の見頃は内地で大きな行事があり、その準備に追われて、いつも見頃を逃していた。場所にもよるが、9月下旬は大雪山の五合目まで登らないと紅葉は早いし、10月中旬以降はすでに色がくすんでいる。もう冬なのだ。
早めか遅めの紅葉はみているが、紅葉の盛りは道内にいないからみれなかった。
それが、1984年(昭和59年)10月は例年とちがった。道内の支部でのっぴきならない事件がおきた。そのため、恒例行事の終了した日の夜、私は急ぎ支部へと向かった。
かなしい事件だった。二度と経験したくない出来事だった。
そんな心境のなか、札幌への帰路の途中、いつものコースを変更して回り道をした。紅葉をみるためではなかった、ただただ遠回りをしたかったのだ。国道を反対方向に北上し、稚内まではまだかなり遠かったが、これ以上北上すれば札幌での約束の刻限に間に合わなくなる、そういうギリギリの時間がいやおうなしにせまっていた。
仕方がなかった。私は遠回りに見切りをつけ、国道を左折した。そして、10分は走ったろうか。目の前にこんもりした山が出現し、さらに山間の道をカーブすると、いきなり大きなドンブリ鉢を逆さまにしたような山がみえた。信じられない美しさだった。
この世のものとはとうてい思えなかった。壮大な大自然を背景に紅葉の山は忽然とあらわれたのだ。
常緑樹の濃い緑、明るい緑のなかに、真っ赤な色、真っ黄色の紅葉が、まるで天上の神々がばかデカイ絵筆をとって描いたかのような。
だれが言ったか忘れた、本当の赤はこの世にないなどと。それは、本当の赤をみていない人の嘆息のごときものである。あの赤をみて、私は母のことばを思い出していた。
それはもう70年ほど前の番屋のよもやま話で、道北や道東に冬の到来する時期、夜中に漁に出た漁師が早朝帰る頃、冷え切った身体を素早く温める黒砂糖の話であった。
番屋(北海道のニシン漁師の宿泊小屋)では、漁師の嫁さんが大量のメシを炊く。携帯電話どころか、船内電話もなかった時代、彼女たちは船が無事に帰もどって来るかどうか、もどって来るとしたら何時何分頃か、独特の勘でわかるそうだ。それに合わせてメシを炊く。熱々のご飯、そしてご飯の中に入れる黒砂糖のかたまり。
空腹で、しかも身体の芯まで冷えると、酒よりも、熱いみそ汁よりも、熱々のご飯に黒砂糖を入れて食べる、それが一番なのだ。ほかの何よりもそれが身体を瞬時に温める速攻効果がある。空腹感もいやされる。熱さでとろ〜っとなった黒砂糖とご飯の取り合わせが漁師の健康の源、番屋一の名物なのである。
嫁さんは、亭主の身体がホクホクしてくるのを眺めながらナナカマドの実を食べる。わっちはこっちのほうがウマイとでも言いたげに。そうなのだ、食べ頃のナナカマドの実は、濃密すぎる甘さ、ぷるんとした口当たり、熟れ頃の女性もかなわぬジューシーさ、どこをとっても最高である。
動物のなかで人間以上にグルメかもしれないと母がいっていた北海道のヒグマ、かれらは旬のものしか食さない、また、旬のものでも特別においしいもの‥脂ののった極上の銀サケ、選りすぐられたハチミツなど‥しか食指を動かさないというヒグマの大好物がナナカマドの実なのである。
旬の、熟したナナカマドの実をカラスに横取りされないよう、ヒグマは細心の注意を払う。それでも横取りされたときは機嫌が悪くなり、八つ当たりして人間を襲うという。
漁師の女房はもしかしたらヒグマの化身かもしれない。食通で、体力旺盛で男勝り、大胆で頼り甲斐のある人が多い。
ナナカマドの実は、あのときみた紅葉よりもっと赤い。両方を同時に見比べたわけではない、が、なんとなくそう思えるのだ。甘美な味と燃える色、ナナカマドは果実の王者であると思う。この世のものではない赤さであるが、ナナカマドはこの世のものである。本当の赤はこの世に存在するのである。
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