パキスタンにかぎったことではないと思う。南アジアに共通することは、中東産油国のように天然資源による外貨獲得のないことである。パキスタンとて人口一億人をかかえる多民族国家であり、71年12月に勃発した第三次印パ戦争で東パキスタンへの権利を放棄し、東パキスタンは時を移さずバングラディシュとして独立した。
パキスタン国民の大半はイスラム教徒であり、中東産油国のイスラム教徒と違うのは宗派のほかに、貧困という厄介なものを生まれた時から抱えていることである。貧困を厄介などと書くと、あらぬ誤解を受けるやもしれないが、教育が機会均等されているG7の国々とは事情を異にする。
貧しさゆえに義務教育が徹底完備しておらず、初等教育さえも満足に享受できない子供たちが町や村にあふれている。学校に行けない子供たちは何をしているのか、ご推察通り働いている、昼夜を問わず。
カルカッタやニューデリーに行かれた方ならご承知のように、カラチの町の中心地は夕方ともなると、人々がどこからともなく集まり、オモチャ箱をひっくり返したような喧噪さを呈する。それは新宿や渋谷などの人混みとは比較にならない体のものである。
あえて共通点を探すとすれば、カラチも新宿も、さしたる目的もなく人がただ彷徨しているということであろう。相違点は、…カラチの人々はほとんど職がない。信じられない事に、失業はパキスタンでは大きな問題ではなく、失業率という概念がわれわれとは若干異なる。
パキスタンの歴代大統領苦肉の策とでもいったらよいのであろうか、ありていに言うと、国民をいかに食べさせていくか、この一点が国策の最重要課題。かつては米国にも良い顔をし、ソ連にも良い顔をして援助を導き出した。八方美人であることは、いわばパキスタンの宿命である。
カシミール問題をめぐってインドとの敵対関係が今なお続いていることからも、反インドを標榜する連中とも仲良くせねばならず、日本や米国に媚を売るのと同様、タリバンとも交友を結ぶ。国内のイスラム原理主義にも目配りせねばならないのだ。しかしながら、国際社会の潮流が米国主導となっている時代に、タリバンとの親交は強い逆風となる。
早晩パキスタン政府は嘘でもタリバンと決別せねばなるまい。それが自国を守る愁眉の選択というものだろう。花をとるか実をとるか、国民の心の飢えを癒すか、肉体の飢えを癒すか、両方同時に選べないのは、パキスタン政府にとって痛恨の極みであろう。
中東産油国のような「持てる国」と、パキスタンのような「持たざる国」との相違は余りに大きい。
(つづく)
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