2001-07-24 Tuesday
森のいのち(5)
 
 そのとき、きれぎれになった雲間から、ひときわ明るい一条の光が白蛇にふりそそいだ。それを待っていたかのように白蛇は光の中に身を横たえた。
するとどうだろう、小さな白い蛇は形を変えながら少しずつ大きくなっていき、ひとかたまりの形になってうづくまった。
 
 最初微動だにしなかったそれは、夢から醒めた童子のようにこきざみにからだを震わせ、やがてゆっくりと立ち上がった。
白い裸身は崇高なまでに光り輝き、まぶしさが目に滲みて目を開けていられないほどであった。気品に満ちた裸体は、この世の生の瞬間をいとおしむかのごとくわなないた。
 
 それはまぎれもなく女であった。
思いもかけない光景に、わたしはことばを失った。そして、何気なくあたりを見回した女の横顔を見て心臓が口から飛び出しそうになった。
そっくりなくらいよく似ていた、あの女子中学生に。そんな馬鹿な、こんなことがあってたまるものか、あの女の子の肌は日焼けしていて、こんなに白くはないし、それに顔だって、こんなに神々しくも気高くもない。
 
 だいいち、自分が白い蛇の化身なら、なぜみんなに川の蛇のことを言いふらしたのか、そう思う矢先から、ますます彼女にうりふたつだという思いがつのってきた。
もしかしたら、自分はとんでもないものを、見てはならないものを見てしまったのではないか。そう思った途端、まばゆいその横顔はこころなしか悲しげにみえた。
 
 
 そのあとのことは全くおぼえていない。
吉野の夏休みが終わり、吉野から足が遠のいて数年立った。
昭和31年、吉野熊野総合開発事業が閣議決定され、41年まで10年間にわたって実施された。事業のかなめとなる多目的ダムの建設が急ピッチですすみ、奈良県下で六つのダムが完成し、吉野川流域には津風呂ダムがつくられた。
 
 このダム建設で、吉野郡竜門村(現吉野町)では71戸が水没した。川原から湯をひいて、温泉街に生まれ変わった十津川村平谷のような集落もあったが、多くの集落は離散した。
総合開発は各地で自然破壊をもたらした。道路建設にともなう多量の土砂採掘と投棄が、下方の森や河川の生態系を破壊する一方で、洪水の危険性を増大させた。膨大な水を貯蔵してくれていた森は激減しつつある。
 
 わたしが過ごした吉野。白い蛇と女の子。それは、川に棲み、自由に泳ぎ回っていた小魚が、秋になって産卵というつとめを果たす前に、最後の美しい姿を見せるひとときに似ていたように思う。
わたしが夏を過ごしたその村も、居候していた家も、水の底で永遠の眠りについている。
 
                   ( 了 )          
2001-07-23 Monday
森のいのち(4)
 
 昼間でも濃い緑色をした川の深みは、月の光に映し出され、黒々と輝いていた。
やっと深みに来れた。とうとうやったんだ。安堵感とは裏腹に、自慢したい気持ちがムクムクとわいてきた。
夜は、わたしのこころを知ってか知らいでか、得意になっている子供をなだめ、あやすように囁いた。おまえの力ではない、わたしたちの力なのだ、と。
 
 わたしは、思いがけない夜の力と、森閑たる夜の底知れない深さに陶然となった。
そのときであった、音もなく梢を通り抜けていく風が、突然狂ったように逆巻き、梢はざわざわと音を立て、太い枝や幹が悲鳴をあげた。
何か来る。そんな気配がして、森の精霊たちは押し黙るようにひそひそ話を中断した。さきほどまで、川面で饗宴を繰りひろげていた水の精は、風にあおられ、散り散りになり、無数のシャボン玉がはじけるように消えていった。
 
 雲の流れが疾(はや)さをまし、月が慌(あわただ)しく見え隠れした。水の中から何ものかの手がわたしの足を引っ張るのではないか、不吉な予感に襲われ、恐怖におののいた。それまでの爽快さはかげを潜め、いまにも泣き出したい気分だった。口の中でわけのわからない呪文を唱え、九字を切った。すると、川のいちばんの深みあたりの水流が急に激しくなり、轟(ごう)と鳴ったかと思うと、径一尺ほどの渦を巻いた。
 
 身もこころも慄然としていたにもかかわらず、目だけは大きく見開かれていた。
と、いましがた狂ったように吹き荒れていた風がピタリとやみ、月は、時計屋がやわらかい布でふいた時計のように雲の中に包まれた。雲の厚さがそれほどでもなかったせいか、雲を透して月の薄明かりがぼおっと差し込み、渦巻を照らした。
 
 その渦の中から、忽然と白い蛇があらわれた。それは、二間ほどの距離に子供がいることなどまるで気にもかけないふうで頭を川上に向けて、からだをくねらせて泳ぎだした。わたしは、物の怪に取り憑かれたウカレビトになって後を追った。
白蛇は、想像を絶する速度で上流へと向かっていった。
しかし、わたしも負けてはいなかった。わたしには、森の精霊と水の精が、それに、夜の深淵が力を貸してくれているという確信めいたものがあった。
 
 上流に行くにつれ、急に岩場がふえ、川幅はどんどん狭くなっていった。いつの間にか、川は泳ぐのがつらいほど浅くなって、川底の小石が足や腹にあたるようになった。川がそこで終わるのではないかと思った時、目の前が不意に開けた。ふと見上げると、はるかに高い所から滝が音もなく流れ落ちていた。
白蛇は滝の前で泳ぎをやめ、陸にあがった。わたしは渓流に腹ばいになり様子をうかがった。
 
                 ( つづく )
2001-07-22 Sunday
森のいのち(3)
 
 日中、川で泳いでいると、どこからともなく白い蛇があらわれ、からだをくねらせながら、悠々と川上へ去って行ったのだったが、その何度も左右にくねらせた姿の、妙になまめかしい形が頭から離れず、かといって、そんなことを従姉に言うと、ませた子だと思われるのがいやで黙っていたが、隣家の年上の女の子が、川で白い蛇を見たと言いふらしたので、みなの知れるところとなった。
 
 当時中学生だったその女の子は、朝、自転車でいずこともなく去っていき、夕方までもどらなかった。週に一度か二度、出かける時間をずらし、午前9時ごろから1時間ほど、競泳用の水着をきて川の深みで泳いでいる姿を目にしたが、若鮎のようにしなやかで美しい姿態と、泳ぎの巧みさに呆然とみとれていた。どうすれば彼女のいる深みに近づけるかを考え、結局泳ぎを上達させるしかないという結論に至り、随分がっかりしたものだった。
彼女が見たという白い蛇が、わたしの見た蛇と同じものであったかどうかは、いまもってわからない。わたしが川にいたとき、彼女はいつものように自転車に乗って出かけていて、その場にいなかったのだ。
 
 白い蛇は神さんの化身じゃ、お使いじゃと言う者もいたが、川蛇は毒蛇だから危険であると言う者のほうが数の上では勝った。何か良い事がおこるかもしれないと言う者がいるかとおもえば、禍事(まがごと)の前兆であるから、身辺の注意を怠らないようにと言い出す者までいた。
 
 夜、わたしはひとり河原に佇(たたず)んでいた。ときおり、雲間から顔をのぞかせる月が川面を照らし、さやさやと川を渡る風に川面は黄金色のうろこになってキラキラ輝いていた。幾筋ものかぼそい水煙が立ち、コップに入れたサイダーの泡のようにパチパチはじけては跳び、跳んでははじけた。そして、小さな噴水のようにサアーッと水しぶきをあげた。
 
 容赦なく太陽が照りつける昼間は姿を見せなかった森の精が、川にひそむ水の精たちと乱舞しているのだ。
こんな時なら、川の深みまで泳いでいけるかもしれない。かれらが手助けしてくれるだろう。だが、水着を取りにいく時間はない。そんなことをしている間に、天が与え給うたこの千載一遇のチャンスは跡形もなく消滅するにちがいない。
 
この機を逸してはならない。急いで衣類を脱ぎ捨て裸になった。そのとき、泳ぐ前には準備体操をという体操の先生のことばが頭をよぎった。と同時に、煌々たる月明かりの下で素裸になっている滑稽な自分の姿が眼前に浮かんだ。
森や水の精と一緒になるのに準備体操などいるものか、わたしは、まっすぐ川に向かって行った。足をつけると、昼間とちがい水はひんやりしていた。首までつかったら、あまりの冷たさに思わず大声をあげそうになったが、必死でこらえ、こころの中でエィっ!と思い切り気合いを入れた。
 
 すると、冷たさが嘘のように消えていった。水の中にからだを横たえようとすると、何者かに持ち上げられたかのようにふわ〜っとからだが浮きあがり、大きな掌(てのひら)に支えられているかのような安定した姿勢で水面を漂った。
右手をすうっと前にのばし、左手でうしろの水を掻くと、からだは意外なほど前進した。
それを何度かくり返しているうちに、だんだん深みに接近していった。河鹿に変身したのではないかと、自分の手足とからだの目に見える部分を凝視したが大丈夫だった。
そして、水の中では、つままれる狐の心配も不要であった。
 
              ( つづく )

PAST INDEX NEXT