日中、川で泳いでいると、どこからともなく白い蛇があらわれ、からだをくねらせながら、悠々と川上へ去って行ったのだったが、その何度も左右にくねらせた姿の、妙になまめかしい形が頭から離れず、かといって、そんなことを従姉に言うと、ませた子だと思われるのがいやで黙っていたが、隣家の年上の女の子が、川で白い蛇を見たと言いふらしたので、みなの知れるところとなった。
当時中学生だったその女の子は、朝、自転車でいずこともなく去っていき、夕方までもどらなかった。週に一度か二度、出かける時間をずらし、午前9時ごろから1時間ほど、競泳用の水着をきて川の深みで泳いでいる姿を目にしたが、若鮎のようにしなやかで美しい姿態と、泳ぎの巧みさに呆然とみとれていた。どうすれば彼女のいる深みに近づけるかを考え、結局泳ぎを上達させるしかないという結論に至り、随分がっかりしたものだった。
彼女が見たという白い蛇が、わたしの見た蛇と同じものであったかどうかは、いまもってわからない。わたしが川にいたとき、彼女はいつものように自転車に乗って出かけていて、その場にいなかったのだ。
白い蛇は神さんの化身じゃ、お使いじゃと言う者もいたが、川蛇は毒蛇だから危険であると言う者のほうが数の上では勝った。何か良い事がおこるかもしれないと言う者がいるかとおもえば、禍事(まがごと)の前兆であるから、身辺の注意を怠らないようにと言い出す者までいた。
夜、わたしはひとり河原に佇(たたず)んでいた。ときおり、雲間から顔をのぞかせる月が川面を照らし、さやさやと川を渡る風に川面は黄金色のうろこになってキラキラ輝いていた。幾筋ものかぼそい水煙が立ち、コップに入れたサイダーの泡のようにパチパチはじけては跳び、跳んでははじけた。そして、小さな噴水のようにサアーッと水しぶきをあげた。
容赦なく太陽が照りつける昼間は姿を見せなかった森の精が、川にひそむ水の精たちと乱舞しているのだ。
こんな時なら、川の深みまで泳いでいけるかもしれない。かれらが手助けしてくれるだろう。だが、水着を取りにいく時間はない。そんなことをしている間に、天が与え給うたこの千載一遇のチャンスは跡形もなく消滅するにちがいない。
この機を逸してはならない。急いで衣類を脱ぎ捨て裸になった。そのとき、泳ぐ前には準備体操をという体操の先生のことばが頭をよぎった。と同時に、煌々たる月明かりの下で素裸になっている滑稽な自分の姿が眼前に浮かんだ。
森や水の精と一緒になるのに準備体操などいるものか、わたしは、まっすぐ川に向かって行った。足をつけると、昼間とちがい水はひんやりしていた。首までつかったら、あまりの冷たさに思わず大声をあげそうになったが、必死でこらえ、こころの中でエィっ!と思い切り気合いを入れた。
すると、冷たさが嘘のように消えていった。水の中にからだを横たえようとすると、何者かに持ち上げられたかのようにふわ〜っとからだが浮きあがり、大きな掌(てのひら)に支えられているかのような安定した姿勢で水面を漂った。
右手をすうっと前にのばし、左手でうしろの水を掻くと、からだは意外なほど前進した。
それを何度かくり返しているうちに、だんだん深みに接近していった。河鹿に変身したのではないかと、自分の手足とからだの目に見える部分を凝視したが大丈夫だった。
そして、水の中では、つままれる狐の心配も不要であった。
( つづく )
|