「苦労は買ってでもせよ」と母はいっていた。二十歳になったばかりの私は母の真意をはかりかねた。苦労した人のほうが苦労していない人よりずっと人のこころがわかる、それが、「苦労は買ってでもせよ」ということばなのかくらいにしか認識できていなかった。必要以外の苦労は避けたい、それが人情ではないか、そう考えていた。
なにか大きな出来事や試練を乗り越えたあと、母はきまってそのことばを口にした。世の中にこんな辛いことがあるのかと思うほかない苦労のあとでもそういった。大きな苦労にくらべれば小さな苦労はものの数ではない、母はそういいたかったのかもしれない。
私にしてみれば、そのときそのとき自分に立ちはだかった苦労がいちばん辛いと思っていた。受験生には受験勉強がつらいだろうし、失恋した者には失恋がこの世でもっとも辛い出来事にちがいない、金が必要なときに金がなければ、ほかの何よりも辛かろう。
リア王はいう、『お前には、この荒れ狂う嵐にずぶ濡れになるのがよほどの大事と思えるようだな、お前にとってはそうかもしれぬ。しかし、もっと大きな病が心に根づいていれば、小さな病はさして苦にならぬ。(中略) 心に苦がなければ、体は苦痛に敏感だ。』
「女学校でESS部長をしていたのに、シェイクスピアの戯曲どころか、単語もおおかた忘れた」と笑っていた母は、リア王は知っていたとしても、劇中のセリフの一つさえおぼえているわけはなかった。
心に苦があれば人は苦痛に鈍感だという話ではなく、苦を幾度となく乗り越えてきた者は、苦に対する免疫力をもっているということだろう、リア王のいわんとしていることは。苦労知らずの人は些細なこと、どうでもよいことに大騒ぎする。
今年になってこんなことがあった。一年半ほど前に壮絶な喧嘩をした親子が仲直りしたのである。きっかけは子の入院だった。
重い病にかかって3ヶ月ほどの闘病生活をつづけていたその女性は、すでに社会人となっている息子や娘に、「何があったにせよ、おばあちゃんに知らせないのはおかしい。親子なんだから知らせるべきだ」といわれたそうだ。
許してもらえないと彼女は思い込んでいたのだったが、音信不通の老母に病気のことを報告しなければならないと思い、夫にそのむねを告げて連絡してもらった。
はたして老母は一目散に見舞に来た。病室に入るやいなや母は子をゆるすといった。子の目はみるみるうちに涙でいっぱいになった。
とにかく派手な喧嘩であったから、親子間の溝は埋められないほど深いようにみえた。なに、双方がもともと屈折した心の持ち主だから、互いの愛情はありあまるほどであるにもかかわらず、仲直りするきっかけを失していたにすぎなかったのだ。
上記の件で私の家内がおもしろいことをいった。「行き場をなくした鳥が一時的に別の場所へ迷い込んだだけ。老いた母はその日の来るのを待っていたと思う。」
家内は彼女にこうもいったそうだ、「いまのあなたのあるのはだれのおかげでしょう。お母さんをもっとたいせつにしてあげなさい」。
子は母にゆるされたことで救われた。救われたのは子だけではない、母もまたゆるしたことで救われたのだ。もしそのままゆるさず、どちらか一方が先に死ぬようなことがあったら、のこされた者は生涯苦しむこととなったろう。なぜゆるしてあげなかったのか、あるいは、親不孝したまま親はもういないと。
苦労が「ゆるす心」を育むのである、生きているあいだにしか苦労はできない。死んでしまえば苦も楽もない、あるのは無限の闇か光であろうが、それも死んでみないとわからない、いや、死んでもわからないのかもしれない。
『人は人を生かすことで自らも生かされている』といった母のことばを私は突然思い出していた。『なごやかな心、相手をゆるす心をもつようこころがけなさい』ともいっていた。ゆるせるのは私たちが生きていてこそなのだ。
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