36   やるからできる
更新日時:
2001/07/16 
 「やればできる」ということばがある。私は子供の頃からこのことばが嫌いである。たしかに相手が子供の場合、「やればできるじゃない」と言うのはおとなの文句で、そのこと自体をどうこう言うつもりはない。しかしながら、「やればできるのに」という一種のグチというかあきらめというか、この文句が危険かつ不愉快なのである。
 
 おとなは子供にはっぱをかけようとしてそんなことを言うが、子供の立場からもの言うと、余程のバカでもないかぎりやればできるか否かくらい自分が一番よく知っていると心の中で思っている。
 
 たいていの子供はそう思う、そこも私は嫌いである。たかだか十数年しか生きていないのに、そんな簡単にタカをくくるなと腹が立つ。人生あたってくだけろ、なのだ。君らがそういうタカのくくり方をするのは三十年早い。
 
「どうせ」ということばも嫌いだ。どうせかどうせでないか、あたってみないとわからない場合もある。一寸先は闇などというが、一寸先が闇だから人生面白いはずなのに、どうせという。どうせなら闇の世界を覗いてみるのも面白い。闇にも彩りがあろう、闇が暗黒かそうでないか君は見たことがあるのか。
 
 歴史に名をのこすかどうかなんてどっちでもいい。人は忘却の動物であるとだれかが言った。そんな大時代なことではなく、君の周囲をじっくり見てごらん。スポーツ選手でも職人さんでもだれでもいい、自分の身の回りにだれかすごい人がひとりくらいはいるだろう。
 
 かれらは最初からすごい人ではない。かれらは「やればできる」なんて金輪際思ったことはない。一生懸命何かに取り組んで、その努力を続けているうちにすごい事ができていた。その結果すごい人の端くれに加わっただけなのである。
 
 かれらはこう言うだろう、やればできるなんて考えたこともない、そんな余裕はなかった、やるしかなかったんだと。
 
 やればできると君たちは言うが、そう言ってやらないのは君たちの怠慢である。そして怠慢は人を裏切るのである。
 
 やればできるのではない、やるからできるのである。
 
 

  37   旅ゆけば
更新日時:
2001/07/12 
 80年代〜90年代初頭、金満国家日本の象徴は高級車、ブランド品、旅行、グルメであった。21世紀のいまはどうかというと、基本的にはたいして変わっているようには見えないが、旅行客は年々増加しているにもかかわらず旅行内容は様変わりした。
 
 欧州を例にとると、80年代半ばから後半にかけて、主要都市のビジネス客を含むAAAランクのホテル宿泊客は日本人が約3割を占めていたが、90年代に入ると米国からの旅行客の比率が高くなる。
 
 日本がバブルに踊っていたころは、とにもかくにも金回りのいい金満家がパリやミラノの一流ホテルをわがもの顔に闊歩していたものである。勿論、いちばんの上客は産油国・王家のバカ息子たちであったわけだが、無駄遣いと金離れの良さでは日本人が先頭を走っていた。
 
 私は数年に一回の割でちょっと豪華な旅行をするのであるが、96年秋ごろはちょうど英国の景気が上昇気流にのっていたので、プラハやウィーンの一流ホテルは米国人につづいて英国人の比率が高かった。おそらく東欧ではいまもその比率は変わっていないと思う。
 
 99年には6月と10月、二度英国(南西フランスも)を旅したが、6月の旅行で宿泊した一泊4万円以上のマナーハウス、カントリーハウスなどでは、日本人はわれわれとあと一組くらいで、あとはすべて米国人であった。米国人は夕食の、舌が麻痺しそうな塩っぱいポタージュをうまそうに食していたが。
 
 旅を長年つづけていると、いま現在どの国の景気が良いかよく分かる。80年代半ばから東西ドイツが統合されるまでの90年代はじめまで、バンコクの豪華ホテルに泊まって、白昼堂々と買春行為に励んでいたのは日本人ばかりではない。お察しのとおりドイツ(当時は西ドイツ)からの金満家が数の上では多かったのである。
 
 当時、連れ込みは御法度のはずのオリエンタル・ホテルで、まだ14、5歳の混血少女を自分の部屋に呼んで(電話かまたはその手の紹介であろう)、「Don’t disturb」をドアノブに掛けていた男たちは、偶然かもしれないがすべてドイツ人であった。私はそういうかれらの姿を何度か通路で目撃した、少女たちも。
 
 そのうちのひとりが、チャオプラヤ川のほとりのバイキング・レストランで、奥さんと20歳くらいの娘さんと夕食を共にしていたのには唖然とした。
 
 こんな経験は長年旅をしているとしょっちゅう出くわすので、見慣れた風景のひとつになってしまっているが、初めて見たときはさすがに気分が悪かった。無論、気分の悪いのは後者、すなわち、何食わぬ顔をして家族と一緒に分厚い肉を食っていた光景のほうである。
 
 いささか品のない話で申し訳ないが、「君、さっき、自室で食べていたではないか」と、喉まで出かけたことばを飲み込んだら、腹いっぱいになって、せっかくのタイ料理もすっかりまずくなってしまいました。
 
 
 

  38   氷点2001
更新日時:
2001/06/27 
 「氷点」は四十代以上の方はご存知であると思うが、先年亡くなった北海道の作家・三浦綾子の作品で、作品そのものが大ベストセラーになったのみならず、過去に7回ほどドラマ化された、いわば国民的小説である。
この氷点のヒロイン・陽子役に予定されているのは、「末永のどか」だか「はるか」だか忘れたが、とにかくそういう名の中学3年生。
 
 中学生がやるからどうのこうのとは言えないし、私は直接そのはるかさんでしたか、のどかさんを知っているわけではないが、写真で見る限り、どんなに贔屓目に見てもヒロイン・陽子のイメージとはほど遠い。聞くところによると、面接で100人位の中から選ばれたらしいが、面接した連中の顔が見たい。
 
 陽子といえば、過去に内藤洋子や島田陽子が演じ、聡明にしてsensitive、飛びきりの美形にして蔭のある少女。
 
 中三ののどかちゃんに、陽子の持つ外的内的イメージの片鱗すら見受けられないではありませんか。14,5歳にしてはかなりませた風貌の現代っ子という事以外の何物でもないと思いますな。すくなくとも「氷点」のヒロインではない、「HOT POINT」あるいは「HOT DOTS」のヒロインなら分かる、溶けて流れりゃみな同じ、だから。
 
 面接した人たちは原作読んだの?あ、そうか、原作読んでも、現在の渋谷、新宿、お台場あたりででウロウロしてる中高生しか見てないから、なんのイメージも湧いてこなかったんだ。
 
 氷点のヒロインにかぎった話ではなく、一事が万事こういう乗りなんだ。選ぶほうも選ばれるほうも現代だから、聡明の意味も、sensitiveの意味も、まして蔭があるなんてよく分からないんだ。
 
 ドラマを見る人たちも、その多くが上記の意味を知らない人が見るから問題ないんだ。たぶん言葉の意味も時代によって変化するんだ。それに今はVirtual realityの世の中だから、つまり仮想現実の世界だから、そもそも言葉の本来の意味とか価値はどうでもいいんだ。彼らは彼らなりに双方向なんだ。
 
 そうやって私は自らを慰めるしか他に手だてはないようであります。
 
 

  39   アフタヌーン・ティー[1]
更新日時:
2001/06/25 
 アフタヌーン・ティーに初めて出会ったのが英国であったなら、と私は半ば悔悟の念を込めてこの雑文を書いている。
本場のそれは、おおよそが都市部のホテルにおいて午後3時〜6時ごろ供出される。中味はご承知のむきも多いと思うが、紅茶に、右の画像の上から順にフィンガー・サンド、スモールケーキ、スコーンの三点セット。
 
 サンドイッチの具はアトランダムで、ツナ、卵、ハム、海老、スモークサーモンなど、どこにでもある食材。スコーンは女性に受けがいいらしいが、私たちはあまり好まない。よほどおいしい生クリームや特製のブルーベリージャムを塗って食べるとしても、スコーンの食感が舌にそぐわないのだ。(食感は大切な食の要素)
 
 英国はサンドイッチ発祥の国ゆえ美味である。しかしながら、それは英国の他の食べ物との比較上の問題であると言えるかもしれない。
 
 英国のアフタヌーン・ティーは、巷間美味であると喧伝されているようだが(英国に長期出向していた人の著書などで)、それは上記のように、あくまで比較の問題であると思う。でなければ、ある種のあきらめか開き直りでおいしいと思いこんでいるだけです。
 
 ただし、おいしいところは勿論ある。AFNTではないが、ハイランドのKentallen(フォート・ウィリアムの20q南西)にあるB&Bの夕食、朝食の味は英国ばなれしている。ここは、99年10月に女王との会見をはたした三人の隠れ家ゆえ、詳細は言えません。日本人は3年に一度くらいしか来ない(ご主人の話)場所です。
 
 

  40   アフタヌーン・ティー[2]
更新日時:
2001/06/24 
 この稿の[1]で、アフタヌーン・ティー初体験が英国ではなかったと書いた。初体験は香港のホテル「マンダリン・オリエンタル」だった。香港滞在中は夕食を午後8時前に食べるのはまれで(大人数で行っている時は別)、いまなら論外であろうが、 当時は若かったこともあり、5時頃になると空腹で元気が出なくなる。そういう時軽いものをと誰しも思う。
 
 マンダリンのAFNTには何度かお世話になったが、さらにおいしいのをバンコクのホテルで食することができた。オリエンタルのそれは味、質、量の三拍子がそろい、申し分のないAFNTであった。右の画像がそのバンコク・オリエンタルのもの。小さいので判別しがたいかもしれないが、上からチョコとクッキー、オードブル風各種、プチケーキである。
ありがたいことにスコーンはない。
写真にはあいにく写っていないが、これにオープン・サンドがつく。
 
 しかし、上には上があるもので、一番豪華で味も別格、値段もウソみたいに安かったのは、シンガポールのオリエンタル・ホテルのAFNT。これは何度食しても、その都度新しい驚きと納得感におそわれた。
料理は、同じものでも、国によって、ホテルによって、作る人によって味も内容も異なる。英国のAFNTに真っ先に出会っていたなら、たぶん、忘れがたい味になっていたかもしれないと思うのであるが……。
 
 


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