80年代〜90年代初頭、金満国家日本の象徴は高級車、ブランド品、旅行、グルメであった。21世紀のいまはどうかというと、基本的にはたいして変わっているようには見えないが、旅行客は年々増加しているにもかかわらず旅行内容は様変わりした。
欧州を例にとると、80年代半ばから後半にかけて、主要都市のビジネス客を含むAAAランクのホテル宿泊客は日本人が約3割を占めていたが、90年代に入ると米国からの旅行客の比率が高くなる。
日本がバブルに踊っていたころは、とにもかくにも金回りのいい金満家がパリやミラノの一流ホテルをわがもの顔に闊歩していたものである。勿論、いちばんの上客は産油国・王家のバカ息子たちであったわけだが、無駄遣いと金離れの良さでは日本人が先頭を走っていた。
私は数年に一回の割でちょっと豪華な旅行をするのであるが、96年秋ごろはちょうど英国の景気が上昇気流にのっていたので、プラハやウィーンの一流ホテルは米国人につづいて英国人の比率が高かった。おそらく東欧ではいまもその比率は変わっていないと思う。
99年には6月と10月、二度英国(南西フランスも)を旅したが、6月の旅行で宿泊した一泊4万円以上のマナーハウス、カントリーハウスなどでは、日本人はわれわれとあと一組くらいで、あとはすべて米国人であった。米国人は夕食の、舌が麻痺しそうな塩っぱいポタージュをうまそうに食していたが。
旅を長年つづけていると、いま現在どの国の景気が良いかよく分かる。80年代半ばから東西ドイツが統合されるまでの90年代はじめまで、バンコクの豪華ホテルに泊まって、白昼堂々と買春行為に励んでいたのは日本人ばかりではない。お察しのとおりドイツ(当時は西ドイツ)からの金満家が数の上では多かったのである。
当時、連れ込みは御法度のはずのオリエンタル・ホテルで、まだ14、5歳の混血少女を自分の部屋に呼んで(電話かまたはその手の紹介であろう)、「Don’t disturb」をドアノブに掛けていた男たちは、偶然かもしれないがすべてドイツ人であった。私はそういうかれらの姿を何度か通路で目撃した、少女たちも。
そのうちのひとりが、チャオプラヤ川のほとりのバイキング・レストランで、奥さんと20歳くらいの娘さんと夕食を共にしていたのには唖然とした。
こんな経験は長年旅をしているとしょっちゅう出くわすので、見慣れた風景のひとつになってしまっているが、初めて見たときはさすがに気分が悪かった。無論、気分の悪いのは後者、すなわち、何食わぬ顔をして家族と一緒に分厚い肉を食っていた光景のほうである。
いささか品のない話で申し訳ないが、「君、さっき、自室で食べていたではないか」と、喉まで出かけたことばを飲み込んだら、腹いっぱいになって、せっかくのタイ料理もすっかりまずくなってしまいました。
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