21   絵日記
更新日時:
2001/10/21 
 
 子供のころ、といっても小学校低学年のころ絵を習っていた。人に勧められたこともあったが、自分でももっと上手になりたいという色気があって習いに行ったように思う。
 
 当時私の父は全集あつめにやたらと凝っていて、世界文学全集、世界のクラシック50人、日本文学全集、世界絵画全集など手当たり次第に収集していた。みるみるうちに部屋が本の山になり、本のためにわざわざ一部屋増築するというほどの全集コレクターなのであった。そうした全集の中でもひときわ目を惹いたのが「世界絵画全集」で、豆画家は父親のいない昼間、人目を盗むかのように真新しい漆喰の匂いが充満する書庫に入っていった。
 
 ユトリロやスーラーの風景画は親しみやすく、いつかこんな絵を描けるようになりたいものだ思ったものだ。しかし、子供の感性に激しく訴えたのは、そういった絵ではなく、ブリューゲルという画家の「バベルの塔」という絵であった。初めて目にする色彩に愕然とした。色が濃いのである。それも、ただ濃いのではない。絵具が画布に留まっているという感じではなく、画布の上で自由自在に輪舞しているのだ。
 
 その自在さが、色をより濃厚で深みのあるものにし、異様ともいえる存在感で豆画家にせまってきたのである。バベルの塔が何であるのかも分からず、ただ、その建造物がまるで生き物のように見えたのを、いまでも時々思い出す。そうなのだ、そいつは天に向かってのびて行こうとしていたのだった。
 
 「人間の傲慢さ」という文字の「傲慢」は読めなかったが、なにか醜い字にみえて、きっといい意味ではないような気がした。
 
 その頃、つまり小学生低学年のころ、夏休みの宿題のひとつに「絵日記」があった。この宿題は豆画家にとってもっとも得意とする分野だった。奈良県・吉野の森や川で過ごした日々、朝顔を育てて色水遊びをした絵のほかに、子供のこころを驚嘆せしめたブリューゲルという画家のことも絵日記にしたためた。
 
 爾来40年、よもや本物の「バベルの塔」を見ることになろうとは。1996年10月、ウィーン・美術史美術館で、画家ブリューゲルとの念願の邂逅を果たしたのである。   
 
 絵日記には毎日の出来事も描くが、たまさかにある種の夢を描くこともある。私はブリューゲルのような画家になりたいと思ったことはなかった。ただ心の中で畏怖の念をもっただけである。しかし、いつかこの絵の実物をみたいと夢みたことはあったのだった。40年夢みつづけたら、とうとう夢が向こうの方から近寄ってきたのだ。
 
 夢という絵日記は描かねばならない。。絵日記を描きつづけていたら、いつの日にか叶う事もあるのである。
 
 

  22   三つ子の魂
更新日時:
2001/10/19 
 
 三つ子の魂百までという。長い間このことばは文字通りの意味であると思ってきた。私はだれにもあるであろう自分勝手さから、人の文章を読むときには併せて行間も読むから、自分の文章を読んでいただくときも行間を読んでもらいたいと暗黙裡に了解していた。勿論、暗黙裡ゆえ相手に伝わっているかどうかは分かりようもなく、また私自身、人の文章の行間をあやまたず読んでいるのかどうかの保証もなかったのだが。
 
 さてさて、おぼろげながら近頃、「三つ子の魂百まで」ということばにも行間があるように思えてきたのである。三つ子の魂という場合の三つ子はさておき、「魂」とは一体なにをいうのであろうか。広辞苑の説明はしばらく隣に預けるとして、魂という、みなが特に問題にしようとせず、さりとて各々に即した確固たるイメージを持っているであろう魂。あるいは、曖昧模糊として、雲をつかむようなイメージを持つ魂。これは何者なのか。
 
 この世には目にみえないものが無数にあり、そのひとつひとつを机上に並べてみて、ああだこうだと言っても詮無い事なのであるが、愛という目にはみえないが心でみることのできるもの、無形のようでいて有形のものと違い、魂は心の目でさえみることはできないし、かたちもない。
 
 三つ子の魂は本当に百まで続くのかと真剣に考えるとキリがないようにも思う。しかしながら、秋の夜長にふと考え込んでしまうのである。
 
 人が何かから進化する以前、それはもう気の遠くなるような大昔、人は魂であったのではないだろうか。こんな馬鹿げた話を読まされるあなたも気の毒と思うので、お急ぎのムキはページを閉じてください。
 
 人の歴史を悠久の時間にしたがって遡って行くと、進化論以前に辿り着き、その時すべては不可視的領域に達するのではないだろうか。だれも見ることも感じることもない領域に…。
 
 生きるということは穢れることかもしれない。食べるから病気をするという考え方がある。食べるという行為が身体をけがすのだ。食べなければ病気も逃げていくのだろうが、それまで身体がもたない。生きることが穢れることであっても、「三つ子の魂」は穢れることがない。目にみえるもの、こころに感じるものは総じて穢れるのである。そして、それは避けようがなく、いかんともしがたい。
 
 目にみえないもの、こころに感じられないものは永遠に穢れることがない。人は三歳までにあらゆる恩返しを親にするという。まことに言い得て妙、そのとおりであると思う。目にみえない魂が親に恩返しをしているのであろうか。けがれなき三つ子の魂が自らの痕跡を刻もうとしているのであろうか。
 
 その魂は、おそらく幾つになってもけがれはしないだろう。そして、だれもみることはできないだろう。
 
 
 

  23   旅人の玉座・3
更新日時:
2001/10/14 
 
 そのホテルはヘラート・ホテルといった。。町で一番大きなホテルであると、ひとりしかいない年老いたベルボーイは自慢気に言っていた。チップを渡そうとしたが、彼は頑なに受け取ろうとはしなかった。ホテルの近くにうまいチャイを飲ませる所があるから、その金でチャイハナに行き、チャイを飲んできなさいと言った。
 
 私はチャイを飲むより、金曜日の大モスクを早く見たかったので、ムニャムニャと生返事をして部屋をあとにした。部屋はあまりに殺風景で、つまり、低い天井に白い壁、古ぼけたベッドが壁に寄り添い、壁には絵ひとつなく、サイドテーブルにはコーランが置かれていた。勿論テレビなどありようはずもなく、しかし、そこがまたいかにもヘラートらしいと思った。
 
 「町で一番大きい」小さいホテルの小さなエントランス前には、ヒマそうな顔の馬と人待ち顔の馬主がのそっと立っていた。私の顔を見るなり「ヤポネ、モスク、モスク」と叫んだ。いや、叫んだわけではないが、よくとおる甲高い声が叫びに聞こえたのである。モスクというのはヘラートにある金曜日の大モスクのことで、徒歩だと1時間はかかる。馬はもう少し休んでいたいような面持ちであったが、渡りに船とはこういうことかもしれないと思い、その馬車に乗ることにした。10アフガニー(50円)の料金は片道だけの料金で、安いというわけのものでもないが(チャイ=紅茶が2アフガニー10円)、復路は歩いて帰ればよい。
 
 馬主の名は忘れたが、盛んに自分はトルクメンであると甲高い声で叫んでいた。トルクメンというと、だいたいが遊牧を生業(なりわい)としているので、ホンマかいなと思いはしたが、彼がそう主張するので、敢えて逆らいはしなかった。遊牧がいやになって、町に住みついたという事もないことではないゆえ。
 
 金曜日の大モスクは、マザリシャリフのブルーモスクほど美しくはないが、まっすぐな直線を生かした剛健な建物で、ブルーモスクにはない凛々しさにあふれていた。モスクの中庭では、おおぜいのムスリムたちが噴水の水で手足を浄め、しかる後に礼拝に向かっていた。私はムスリム(イスラム教徒)ではなかったが、手足を浄め、裸足のまま礼拝堂に入っていった。パキスタンでもそうであったが、特に誰もとがめ立てするようなことはせず、祈りに専念していた。
 
 コーランの響きは美しい。コーランの文句を朗々と歌いあげるのがイスラムの祈りなのだが、夜明け前に聴く祈りがもっとも美しくきこえる。パキスタンではほとんど耳にしなかった美しい響きが、アフガンの町や村では毎朝きこえ、その響きが私の目覚まし時計であった。
 
 モスクからホテル近くのチャイハナまで歩いた。あちこち眺めながら歩いたせいか、予定より30分以上時間がかかったが。
老ベルボーイの言っていたチャイハナのチャイは甘たるかった。しかし、その甘さがアフガニスタンに合っているのであった。山羊のミルクはサラッとしていて、乾燥した気候に合う。アフガンのチャイは、安堵感を呼ぶ何かがあったように思う。一杯のチャイは、ひとときの休息、魂の束の間のやすらぎにふさわしかった。
 
                     (つづく)
 
 

  24   極楽は日が短い
更新日時:
2001/10/09 
 
 極楽は日が短いとはよく言ったものだと思う。母方の伯母が時々言っていたのであるが、子供心にうまいことを言うものだと思った。勿論、子供のことであるから、遊びの時間はアッという間に過ぎ、宿題に費やす時間は長いというくらいにしかとらえていなかったのだが、いま思うと何のことはない、子供の頃感じたこととなんら変わらないように思う。
 
 遊びは楽しく、楽しい事をしていると時間は早く過ぎていく。極楽は日が短いのである。さすがに遊びの内容は子供時代とは異なるが、遊びというのはどこか胡散臭さがつきまとうものであり、また、それゆえに遊びが面白いということも言えるのではあるまいか。
 
 みんなから誉められたり、尊敬の眼差しでみられるような遊びは、はっきり言って、楽しくも何ともないのである。誤解されるかもしれないが、趣味と遊びとは違う。趣味と遊びが同じという人も数多くいると思うし、なに、それはそれでよいとも思うのだが、遊びはやっぱり胡散臭いのをよしとしたいのだ。
 
 いまより遙かに若い頃の遊びは、だいたいアレか、賭け事か、ホニャラホニャラであった。胡散臭さにおいても、気品に欠けるということにおいても、やれ旅行であるとか、古典芸能であるとか、ハイキングであるとかの趣味からすれば下下味亭である。
 
 下下味亭は、「かがみてい」と読み、三十数年前、私が通っていた東京のW大学(腕白大学?)の同好会が奈良で合宿をした折に、よく利用した一膳飯屋である。ここのご飯とおかずと味噌汁は絶品。わが懐かしのMさんに連れていってもらって以来、たちまち病みつきになった。
 
 遊びに気品は不要であるし、もし遊びに気品があるとすれば、それは自分がそう感じるのではなく、周囲の者がそのように見なすだけの事であろう。千利休は、自分の茶道が品位にみちているとは思っていなかったはずである。もし思っていたなら、彼は阿呆である。品位があるかないかを決めるのは自分ではない、他人なのだ。
 
 自分が才気に溢れているか否かを決めるのも他人であるし、性格が良いか悪いか、やさしい人かやさしくない人かを決めるのも他人なのである。従って、米国のいう正義が本当に正しいかどうかを決めるのも他人であろう。自分で勝手に決めるのは狂信者だけである。
 
 極楽は日が短い。ゆえに極楽にいる時間は貴重である。刻々と極楽に滞在できる時間は少なくなりつつある。若いあいだは、その無知ゆえに、無思慮ゆえに、無防備ゆえに、つまらないことに感心したりするし、感心したことを臆面もなく人に披露するが、十分な経験を積み、人生も下り坂に向かってくると、若い人たちの言動が滑稽にみえてくる。
 
 かれらは極楽は日が短いことを知らぬ。なぜなら、われわれとは全く異なる、豊かな子供時代を過ごしてきたからだ。だから、極楽は日が短いなどと言っても、ただ首をかしげるだけであろう。戦争だ、戦争だと騒いでも(無関心な若者のほうが多いだろうが)なんら実感は伴っていないのである。Web上の仮想現実に過ぎないのである。
 
 

  25   旅人の玉座・2
更新日時:
2001/10/09 
 
 「大軍をもって攻め入れば即ち餓死、小部隊をもって侵入すれば即ち大衆に包囲される」とは、16世紀末フランス・ブルボン朝のアンリ4世がスペインについて言ったことばである。無敵を誇った英国の猛将サー・ヘンリー・デュランドは、20世紀はじめの対アフガン戦争で「英国にとって、アフガニスタンも正にその通りである」と書きのこしている。峻険な地形、乾燥した気候、水不足、食料不足などに加えて、アフガニスタンを構成する様々な民族(パシトゥーン、タジク、ウズベク、ハザラなど)の神出鬼没に度肝を抜かれたのだ。
 
 アフガニスタンは文明の十字路と呼ばれていた。いまでこそ、葡萄酒といえばフランスやイタリアの名前が挙げられようが、元来ぶどうの原産地はコーカサス一帯から中央アジアにかけてであり、アーリア人の移動以前、アフガニスタン周辺ではぶどうの栽培が行われていたのである。ぶどうをギリシア、ローマなどの地中海世界に伝えたのは小アジアのフェニキア人といわれる。紀元前1500年くらい前の話になるのだが。
 
 私は10月アフガニスタンを旅したが、収穫したての赤いぶどうも白いぶどうも、すこぶる美味であった。アレキサンドリアというマスカットの品種があるが、甘さとふくよかさにおいて、アフガンのぶどうのほうが優っていた。
 
 さて、マザリシャリフ、すなわち高貴な墳墓は、古都バルフの南東15qに位置し、バルフが13世紀チンギス・ハーンによって破壊され、衰退の一途を辿ったために都となった町である。この町のブルーモスクは15世紀のはじめに建てられたが、ムハンマド(マホメッド)の女婿アリーの墳墓とみなされ、イスラム教徒の信仰の象徴となっている。
 
 ブルーモスクの美しさについては、この稿の「1」でふれたので先を急ぐ。古都バルフの偉容はことばでは言い表せない。バルフは遺跡である。遺跡であるかぎりにおいて原形をとどめてはいない。古代、ゾロアスター教の中心地で、開祖ゾロアスターはバルフ城内で永眠したと伝えられてもいるのだが、バルフはバクトリアの首都であり、クシャーン朝の都のひとつでもあった。古代といえども、首都としての都市機能と防衛力を備えた町であったのは言うまでもない。
 
 バルフの城跡に上り、遺跡の全容をみた時、その壮大さと気品にみちた姿にこころを打たれた。畏敬の念とでもいえばよいのか、このような乾燥した気候の中で、かくも見事に数千年の風雪に耐えてきた姿と、バルフ近辺の人々の何世紀にもわたる保存努力に感動したのである。ここは、そうなのだ、ここは英国でもなければフランスやイタリアでもない、アフガニスタンなのであった。
 
 ヘラートに着く前にバルフについて書いておきたかった。ヘラートへの道は近くて遠い。
 
                    (つづく)
 
     


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