16   資質と本質(6)
更新日時:
2001/12/24 
 
 いま考えても、それは長い道のりであった。日中は仕事をしているので会いに行けなかったが、夜毎日、大阪府八尾市にいるつれあいをたずねた。会う時はよいのだが、別れる時、つれあいは必ず寂しそうな顔をした。本人は極力そういう表情を見せまいと健気に平静を装うのだが、心の奥から沸々と湧いてくる寂しさはいかんともしがたく、そんなつれあいを見るにつけ私は言葉を失った。
 
 日曜は甲田先生の地方講演があるので、病院は開店休業。私はできるだけつれあいと一緒にいたかったから、ふたりで若い頃行った奈良のお寺へドライブした。法隆寺、長谷寺、飛鳥寺、橘寺、浄瑠璃寺、般若寺など。つれあいは極度の空腹にもかかわらず、私といる束の間の時間だけは食物のことを思わずに過ごせたようである。
 
 20代にふたりで巡ったお寺にはそれぞれの思い出が馥郁として込められており、長い渡り廊下をあてどなく歩いていると、当時お互いに何を感じ、どんなことを話し合ったかが蘇ってきた。ふたりとも黙っていたが、その事はよく分かっていた。夏の浄瑠璃寺には、池に所狭しと蓮の花が咲いていた。京都・法金剛院の蓮も美しいと思った。長谷寺はあいにく牡丹の季節ではなかったが、今回は真っ赤な牡丹が満開であった。
 
 そんなことを連綿と思い浮かべていたように思う。蓮の花は四日の命なんだと言うと、短いネ、どうして四日なの?と訊かれた。幼女、少女、熟女、老女の四日だと言ったら、少し口をとがらしたので、本当に蓮の寿命は四日しかないんだと言った。その時つれあいが言ったことばは忘れてしまったが、顔は憶えている。彼女の顔は、はかないネと言っていた。
 
 本当に恋しい人が見えてくるのは、不意に幕がおりて、いくら会いたくても会えない時が来てからである、私はそう思った。だから、会えるうちに思い出をいっぱいつくっておきたい。思い出の数だけ心がみたされ濃密に生き続けるのだ。どうしようもないわびしさが日ごとに深くなり、時が恋しい人とのかかわり合いの深さを刻んでいっても、豊かで芳醇な思い出が私を支えてくれるだろう。
 
 老いとは時間にめざめることではないだろうか。時間にめざめるから、一時、一時をかけがえのないいのちだと思うのではあるまいか。若い時は、信じられないことだが、時間は戻ってくるものだと思っているのではないだろうか…。
 
                  (つづく)
 
 

  17   資質と本質(5)
更新日時:
2001/12/22 
 
 人間の本質に関わる財欲、色欲、飲食欲、名欲、睡眠欲の五欲のうち、人がもっとも逃れがたいのは飲食欲である。断食経験のない人や、あっても短期間しか経験のない人は、お腹がすいても睡眠欲が食欲に勝る、寝る前に空腹感があっても眠れるからと思うだろう。しかし、長期に及ぶ断食はそんな生やさしいものではない。
 
 一日中食物のことが頭から離れず、見るもの聞くものみな食物に関連づけてしまうのである。食パンなど大嫌いという人が、無性に食パンを、それもこんがり焼いたものを食べたくなる。何ヶ月も断食を続け、その効果が目に見えて現れてきている事が充分に認識できていても、頭と腹は別物なのだ。
 
 あと数ヶ月我慢すれば、アレルギーなどの体質が改善され、普通のからだに戻れるということが頭では分かっていても、空腹を満たすものの事しか考えられない。そして、いったん禁を破り、食物を口にすると、それまでの反動で一度に大量のものを食べるのである。それはまさに堰を切った奔流のごとしで、アンパンを20個とかカレーライスを8皿とかで、食べ終わってふとわれに返った時、餓鬼道に陥ったと自分を責めるのである。
 
 ある時など、八尾市にある西武百貨店の食料品売り場の試食コーナーは、甲田医院の患者が交替でやって来ると囁かれたほどである。われとわが身に言い聞かせた禁を破った後悔の念、さらに、命を賭けて患者を救おうとしている甲田先生への申し訳なさに苦しむ。それを何回か繰り返すうちに、だんだんと自信も喪失し、激しい自己嫌悪にさいなまされる。
 
 甲田先生のお世話になった人の多くが(現役の医師も数多くいる)、断食に耐え、乗り越え、難病を克服し、社会復帰を果たしているのに、自分はどうなってしまったのか、そんな思いに心を切り刻まれるのである。
 
 つれあいは私のすべてであった。もっとも遠慮のない友であり、祖母であり、母であり、妹であり、子であり妻であった。この世で他の何にも代えがたい宝物であった。つれあいが救われなければ、私が救われるわけがなかったのである。
 
              (つづく)
 
     

  18   資質と本質(4)
更新日時:
2001/12/22 
 
 つれあいが2年間お世話になった断食道場は、大阪府八尾市にある甲田医院の分院的なNさんの所であった。幸田医院というのは、院長・幸田光雄(こうだみつお)先生が独自の療法を完成させた生菜食療法を実践なさっている病院で、西洋医学では治らない筋ジストロフィー、膠原病、アトピー性皮膚炎、癌などの難病をもつ患者さんが入院していた。
詳細は「YAHOO」などの検索で「幸田光雄(こうだみつお)」で検索していただければよい。幸田先生に命を救われた元・患者さんの多くがホームページを開設していて、自らの体験を語っている。
 
 幸田先生にお世話になる前に、つれあいは奈良の壷阪山のI医院に長年通院していた。ここは明治の昔から皮膚科専門の医院で、秘伝の薬によって重症の皮膚炎を治癒するということで関西で名を知られ、遠くは沖縄や北海道から来る患者もいた。
 
 これは後で分かったことであるが、I医院の先代が亡くなって以降、つまり代替わりしてから、投薬も入手しやすいもの=ステロイド系(副腎皮質ホルモン)に代えてしまったのである。
 
 このステロイド系の薬は、飲み薬、塗り薬ともにきわめて即効性はあるが、それで治癒せず長期服用すると、恐ろしい副作用があらわれる。つれあいも副作用に10年間悩まされる事になったのであった。
 
 子供の頃のアトピーは治りやすいが、大人になって再発するアトピーは治りにくい。それもステロイドの副作用に体を犯された重度のアトピーは、対処療法で完治することはない。一日中からだの至るところにかゆみが走り、身の置きどころがないのである。夜床についても容易に眠れず、運良く眠っても安眠はおぼつかない。体がほんの少しでも暖まるやいなや猛烈なかゆみが襲いかかり、かゆい部分をかいてシーツが血に染まるのだ。
 
 綿の手袋をはめて床に就いても、無意識のうちに手袋を脱ぎ、爪を立てかゆい所を思い切りかいている。かゆいのと寝不足といらいらと不安、いつ果てるとも分からぬ戦いの明け暮れに、つれあいは疲労困憊していた。私はそばにいても何もしてやれず、無力感に苛まされたのである。
 
 
             (つづく)
 

  19   資質と本質(3)
更新日時:
2001/12/18 
 
 前回の続きです。
 
 いきなり釈迦の話が出てきて面食らったむきもおありだろうと思うので、そこから始めましょう。もうずいぶん前の事になるが、私のつれあいが難病に罹ったことがある。その病気は体内の抗体が異常に増えることにより誘発される病で、残念ながら、効果的治療法は現在に至るまで見出されていない。約10年にわたり可能なかぎりのあらゆる治療法を試みたが、すべて無為に終わった。
そもそも対処療法では治癒することがない病なので、万策尽きた感は否めず、つれあいも、一生病気と付き合っていくしかないと諦めの境地に達していたようであった。
 
 きれいな空気と水、ストレスのない環境に数ヶ月以上身をおくことで、ある程度症状は改善するが、それとて病気を根治させるものではなかった。つれあいは一時北海道の紋別市や札幌の住人となったこともある。いわゆる転地療法である。
 
 断食道場に数年お世話になったこともあり、断食後青汁だけで命を保っていたこともある。冬の寒い日などは、どろどろの青汁と生玄米の粉だけでは体内から暖を取れないので、寒さがいっそう募ってきたとつれあいは言う。たまにテレビを見ると、よくもまあ、こんなにたくさんの食べ物のCMがあったのかと驚き、CMを見るたびに押し寄せてくる飢餓感に身の置き所がなかったとも言う。空腹との戦いがこれほどまで辛いものかと自分が情けなく思え、そう思う矢先から食べ物のことが頭に浮かび、こびり付いて離れなかった。
 
 食を断つということが、人間の五欲の中で最も押さえがたいということがあの時分かった、つれあいは今でも時々そう述懐する。私はつれあいがそういう状況下におかれるまでは思いもよらなかったのであるが、彼女を救えるならどんな事もいとわないと考えている自分を発見して愕然とした。
 
 無論、神仏ではないから、人を救うこと、まして難病を患うつれあいを救うことなど不可能と頭では分かっている。だが、なんとかしてあげたいという思いは日ごとに募っていった。私が人を、つまり、つれあいを救うことによってしか自分も救われないと思い始めたのはその頃からである。
 
  
           続きは後日。
 
    
 

  20   資質と本質(2)
更新日時:
2001/12/17 
 
 夫婦を長くやっていると、人にもよろうが、否が応でも相手の資質と本質をまともにふりかぶる。ふりかぶるといって悪ければ、大いに影響を受けるか左右される。若い頃は人間の本質なんて小説の中だけの事と問題にしなかった人たちまでもが、知らず知らずのうちに問題にしはじめている。
 
 男女がそれぞれに持つ資質は無視できないものがあり、容貌や頼もしさ、その人の雰囲気という資質に拘泥しがちである。私の知り合いには、料理が上手というだけで嫁にもらったという者もいる。勿論、料理の腕の良いのは立派な資質である。大方の顰蹙を買うのを承知でついでに書くと、遠い親戚に、他になんの取り柄もないけれど、床上手だけが取り柄だと臆面もなく語っていた又従兄弟もいた。
 
 料理上手も床上手も得難いものであるという前提で話を進めるのであるが、両方を兼ね備えていたにも拘わらず離婚したカップルもいる。勿体ないと笑ってばかりはおれないのだが、この話などは、夫婦が資質だけでは長持ちしないということの好例ではあるまいか。
 
 上記の例で、別れた後にしまったと後悔するかどうかは分からないが、人の多くは資質より本質を重んじる傾向があるように思う。資質は、夫婦という人間関係中もっとも遠慮のない組み合わせの場合、決定的な価値とはならないのかもしれない。詰まるところ、双方が求めてやまないのは思いやりや理解、温かさではなかろうか。人は年を取ればとるほどある部分で子供化するのである、と書くといささか唐突だが、原始の自分に戻るのである。
 
 だからこそ、資質ではなく本質を大切にするのかもしれない。対外的にいくら強気に気張って生きている人でも、心のやすらぎと平安を欲する。それは万物の創造主が付与した人間本来の欲求といってよいだろう。こころの休まる余地のないところに人は安住できないのである。
 
 釈迦は、と私は何の根拠もなく勝手に思っているのだが、人を救ってこそ自分も救われるという事を初めて言いだした人ではないだろうか。さらに言うと、人を救うことによってしか自らが救われないというさだめを背負っていたのではなかったろうか。
その事を充分理解し、共感をおぼえた人たちが釈迦に付き従ったのではないだろうか。
 
 人の心に長く留まるのは、資質ではなく本質なのである。
 
            続きは後日。
 
     


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