12カ国、3億人が使用するヨーロッパ最多の通貨ユーロが始動した。ヨーロパを今後も往き来する一旅行者の視点でユーロについてのべたいと思う。
そう考えていて、ふとテレビの画面に目をやると、ベルリンから二村伸が衛星中継でユーロのレポートをしていた。なんと珍しい、二村伸が戦場の最前線以外の場所にもいたのか、南極越冬隊をエーゲ海で見るようなものだと思ったら、いつの間にやら二村伸はベルリン支局長となっていた。
「今日のトピック」の「THE MAN WHO CRIED」の中でも二村伸のことにふれたが、彼ほど戦場に明け、戦場に暮れた報道人もそうざらにはいないのではあるまいか。彼を戦場で見るたびに、ああ、よかった、まだ生きていてくれたと何度思ったか知れはしない。
戦場の取材が長期に及ぶということは、生命の危機のほかに、それだけ栄養不足になるということであり、現に二村伸は戦場レポートの回を追うごとに頬がこけ、痩せ細っていった。
コソボの時に較べ、今回のアフガンが余程過酷な状況下での取材であったかは、彼の歯のボロボロになったことでよく分かる。秋から冬にかけてのアフガン山岳地帯の自然は、私も経験しているが、そんじょそこらの厳しさとわけが違う。日中30度の気温は夜にはマイナス20度となり、テント生活も長くなると、保存食など役に立たない。激しい寒暖差がからだの代謝を悪くし、免疫力さえ低下させ麻痺させてしまうのである。
二村伸は、そんな中で長期の取材に耐え、カメラの前で常に爽やかな顔を見せていたのだ。私は、そんな二村伸を見るにつけ、イスラマバードやペシャワールに派遣された報道人とキャスターに言ってやりたかった、君たちは幸せだなぁと。二村伸を見よ、彼の報道魂を君たちの心の奥に銘記せよと。
そんな二村伸がベルリン支局長となって、嬉しさと安堵感がこみあげ、心からおめでとうと言いたい気持でいっぱいである。がしかし、NHKの7時のニュースに出ていた彼の表情を見ると、嬉しさとは裏腹に、やはり二村伸は戦場が一番似合うと思ってしまうのである。戦場にいた彼は、充実感と緊張感と誇りに充ち満ちていた。なのに、ベルリンの彼は、こころなしかはにかみの風情を見せていたのだ。あの頑強な男が、はにかんでいた。だからますます私は二村伸の贔屓となるのである。
さて本題に戻ろうとしたら、小澤さんのニューイヤー・コンサート(ウイーン・フィル)が佳境に入り、「こうもり」の序曲が演奏された。ニューイヤー・コンサートでいつも「こうもり・序曲」が聴けるとは限らないし、私はこの曲が大好きなのだ。そうこうする内に「ウィーン気質」が演奏され始めた。これを聴かずして新年は訪れない、と、思ったら、「美しく青きドナウ」。
一昨年の大晦日まで、9年連続で大阪シンフォニー・ホールへ「ジルベスタ・コンサート」を聴きにいった。そして新年はそこで迎えたのである。「美しく青きドナウ」は、私を闇から救い上げてくれた音楽だった。私はこの曲を聴いて、その年もどうにか生きてこれたという感慨に浸ったのだった。
実は毎日のようにニューイヤー・コンサートを聴いている。私は風邪などで体調を崩した時以外、ほとんど年中車に乗る。車のCDプレイヤーはCDが6枚収納可能で、カルロス・クライバーのニューイヤー・コンサート(ウィーン・フィル)とクラウディオ・アッバード他のオペラ名曲集、フリードリッヒ・グルダのモーツアルト・ピアノ協奏曲20、21番などは私の定番なのである。であるから、二日に一度は「こうもり・序曲」と「美しく青きドナウ」は車中で聴いている。なのに飽きないのはなぜか。
結局、ユーロについては書けそうにないので、後日にいたします。正月はこんなものでしょうか。
(上の画像は邪道似顔絵師の作品「二村伸」です。なお二村伸氏は、ベルリン支局長の肩書きでアフガン入りした、つまり、元からのベルリン支局長であったという絵師さんのご指摘を附記します)
(未完)
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