6   ユーロ・6
更新日時:
2002/01/19 
 
 赤穂・浅野家の浪人47名が吉良邸に討ち入りして、今年で300年目を迎える。家が断絶するということは即ち、会社が倒産もしくは廃業することより厳しいものがあり、家に仕えていた家臣=社員は、家と家禄(給料)を失い、再就職できる人を除いて路頭に迷うこととなる。
こんにちのように失業保険があるわけではなく、就職先が決まるまで、一定の貯えのある人はどうにか食いつないでいけようが、それもない人は苛酷な日々を強いられるのだ。
 
 浅野家・家老の大石内蔵助良雄は、家禄に応じて浅野家の財産を家臣に分配したとも言われている。家の借金は、すべて完済したわけのものではないが、当時の慣習に従って支払われたものと思われる。
 
 1702年11月下旬、内蔵助が浅野の未亡人・あぐりに送った「預置候金銀請払帳」、つまり収支決算簿によれば、内匠頭の仏事に165両、浅野家再興のための資金に25両、上方から江戸までの旅費に282両、浪士の生活補助に60両、江戸での借家賃に150両、討ち入り用武具に9両、雑費として6両、計697両を計上している。当時の1両はおおよそ9万円というところであるから、現在の貨幣換算で6千2百7十万円ということになる。
 
 この収支決算が通常のそれと異なるのは、繰り越しのない決算であったということである。四十七士に繰り越す年度は存在しないのだ。金の使われ方は様々であろうが、かくも厳しく、希望のない使われ方も少ない。希望は来世に託すほかないのである。
 
 金の使い道については内蔵助に一任されていたが、そこで筆者の思うのは、定収入の見込みはおろか、臨時の収入のめどさえ立たない状況を余儀なくされている以上、金を使い切ったところで討ち入りするほかなかったという事である。そういう状況下に置かれた内蔵助の心中は、察してあまりある。金の切れ目は即ち、今生からの切れ目なのだ。
 
 だが、内蔵助の面白いというか不可思議なところは、そういうギリギリの環境にあっても、女遊びをやめなかったという事である。祇園の茶屋での遊興については諸説あり、さりとて、本人に確かめようのない今となっては、想像力をたくましくするほかないのだが、当時の名高い傾城(遊女)・島原の夕霧や、橦木町の浮橋との交遊が記録されていることを見れば、彼は根っからの遊び好きであったのかもしれない。
 
 この世とおさらばするために、愛人や恋人との逢瀬を重ね、くながひ(婚合)に没頭した心中物の主人公と違って、内蔵助の場合は、主君の仇を果たすための力を保っていかねばならなかった。後は野となれ山となれ、というわけにはいかない。道行のヤワな男との決定的な相違はそこにあり、内蔵助には強靱な精神力が備わっていた。死に行くところは同じでも、その目的たるや天と地ほどの違いがあったのだ。
 
 内蔵助は17年の結婚生活で五人(三男二女)の子に恵まれた。赤穂の愛人との間に生まれた子(夭折)と、山科閑居の際、妻りくが実家の但馬に帰った後、彼の側で世話をした女「かる」が、内蔵助切腹後に生んだ子を入れると、七人である。
 
 歴史は過去のものであって、現実に当て嵌めるのはどうかという人もいようが、歴史に生きたのもナマの人間であってみれば、その人間の行動は、彼の心の足跡であり、心の足跡は、心の秘密を示すのである。
 
 人は往々にして、「思ってもみなかった事」をしでかすものである。私たちは不可解で矛盾の多い生きものなのであって、常に「思っている事」だけをしているのではなかろう。むしろ、不可解ゆえに人間であるということがいえるのではないだろうか。
 
                     (未完)
 
 

  7   ユーロ・5
更新日時:
2002/01/15 
 
 ヴィクトル・ユゴーは、19世紀フランスを代表するといってもいい大文豪である。大は詩人・作家としてのユゴーに冠せられるのみならず、漁色、吝嗇にも付与せられる文字であり、ユゴーが妻帯してからの人生は、それらの予定調和といっても言い過ぎではない。
 
 文豪といえども、ひとりの人間であるかぎりにおいて、金銭や閨房の波乱と乱行はつきものゆえ、とやかく詮議立てする類のものではないと言いたいところだが、ユゴーの場合は度を越しているとしか言いようがなく、一夜のご乱行が幾夜かあった、などというシロモノとは性格を異にするのである。
 
 あえて彼の弁護をするとすれば、妻・アデルが、夫・ユゴーの不快感を催すほどの精力絶倫さに嫌気がさし、あろうことか、ユゴーの友人・サント=ブーヴと関係を持ったことに、彼の漁色の端が発せられたという事であろうか。無論それとて、単に妻へのあてつけであったのなら、数度の不倫で鉾先を納めてもよかったのだが、そこは先天的漁色ということもあって(ユゴーの父も不倫はともかく、精力は不夜城であった)、ユゴーの性才は一気に花開いた。ユゴー29歳、アデル28歳の秋であった。
 
 ユーロがいつの間にかユゴーになって、読者諸氏におかれては、最初からの語呂合わせかとお思いやもしれぬが、そのような意図は全くなく、2002年はユゴー生誕200年目であり、そしてまた、もっとも人気のある歌舞伎狂言「仮名手本忠臣蔵」の、吉良邸討ち入りから300年目という節目なので、この縁もゆかりもないフランスと日本の人物と歴史が、通貨によって結ばれるであろう寓話を語ろうとしたまでの事である。
 
 さて、妻の裏切りに衝撃を受けたユゴーがまず向かったのは、マダム・クロードの館、つまり娼館であった。筆者が不思議に思うのは、自らも手帳を出納帳代わりにし、妻にも家計簿作成を強要したユゴーが、決してお安くなかったであろう娼婦との交遊に、これも決して分厚くはない財布をはたいた事である。ところが、これも調べたら、なんとユゴーは、娼婦との交際費まで逐一手帳に記していたのである。その習慣は生涯保たれた。
 
 そうこうするうちに、ユゴーにも愛人ができる。そして、この最初の愛人とユゴーは、不可思議な縁でその後も苦楽を共にする事となるのだが、だからといって、ユゴーの漁色盛んなことに変化のあろうはずはなかった。彼は、長年の愛人であったこのジュリエッタにも家計簿をつけさせ、彼女のもとを訪問するたびに、それまでの収支をチェックしていたのだ。
 
 すこぶるつきの美女であったジュリエッタが、彼の要求に従順であることも長続きした理由のひとつだと思われる。しかし、長続きした理由はほかにもある。ジュリエッタはユゴーの才能をこよなく愛していたようである。
 
 ユゴーとその妻・アデルとの間には、6人の子がいた。長男は生後3ヶ月で夭折したが、その後長女、次男、次女と恵まれた。ユゴーはとりわけ長女を愛していたようで、「レ・ミゼラブル」の主人公ジャン・ヴァルジャンの養女コゼットは、長女がモデルと思われる箇所が幾つかある。(「ユーロ・4」でふれた、60万フランも愛する者を失ったかなしみの前では無価値であると嘆く場面)
 
 吝嗇家ユゴーはその名の通り、途方もない財産をのこすのだが、イザベル・アジャーニが演じた「アデルの恋の物語」で発狂した、その次女アデル(妻と同名)を除いて、妻も子もすべてユゴーより先に亡くなるのである。ただ幸いにもと言うべきか、妻子に先立たれる不幸にもへこたれず、83歳でお迎えが来る間際まで、ユゴーの漁色の失われることはなかった。
 
 ユゴーは、70歳の時から交遊のあった、あの大女優サラ・ベルナール(当時は新進女優)と、73歳(1875年)になっても閨を共にしていたのだ。そして、例の手帳にこう書き記している。 
   「子はできないであろう」
 
 華々しい異性交遊に事欠かず、文字通り太く長く生きたユゴーではあったが、妻子のだれひとりとして遺産を相続するものはなく、ユゴーの残した金は、思いもしなかった死に金となったのである。
 
                     (未完)
  
 

  8   ユーロ・4
更新日時:
2002/01/14 
 
 通貨は単なる媒介物であるという考え方に私は与しない。通貨は媒介物どころか生き物である。洋の東西を問わず金銭をめぐるトラブルは後を絶たず、ある人が何を考えているかは、その人の使うお金の動きをみれば大体のことは分かるのではないかとさえ私は思っている。
 
 近松は「恋飛脚大和往来」(こいのたよりやまとおうらい)の「封印切」で、主人公・亀屋忠兵衛の敵役・八右衛門に「金のないのは首のないのとおんなじや」と言わせている。金はお足ともいい、知らないうちにどこかへ行ってしまう。八右衛門のせりふといい、お足といい、どことなく金が生き物であることをいっているような気もする。
 
 「ユーロ・3」で塩野さんの書いた文章を紹介した。私たちは普通、教育と言わず学校と言って、教育全体の象徴を学校ということばに託しているが、もし学校に先生やノート、鉛筆がなければどうなるのであろう。もし病院というハコものに医師や医療器具、薬がなければどうなるだろう。これは、パーソナル・コンピューターにソフトがなければ、パソコンはただのハコになってしまうのと同様、深刻重大な問題である。
 
 ボランティアならどうかという事もあろうが、さて、ボランティアが現地に行き着くまでの交通費と食費はだれが負担するのか、寄付があるといわれれば、なるほどそうかと思うのは早い。寄付とは何か、お金であろう。通貨というソフトがなければ、個人単位から町、国単位までの救済はおぼつかないのではあるまいか。
 
 昨秋以降、アフガニスタンの難民問題が焦眉の急となっている。アフガニスタンでは、為替相場は毎日のように大変動し、だからといって、難民の憂き目にあっている人々に為替相場は無縁かもしれないが、私たちの1万円は彼らの1万円ではない。かの地にあっては、1万円は30万円にも50万円にもなり、通貨が生き物である事を物語っている。通貨は、所かわれば姿、値打もかえるのであってみれば。
 
 19世紀のフランスの文豪ヴィクトル・ユゴーは「レ・ミゼラブル」で、自らの60年を振り返るかのように、金銭をめぐる人間の葛藤を悲壮かつおごそかに描いた。ジャン・ヴァルジャンは、60万フラン(1860年頃の6億円)も、愛する者を失ったかなしみの前では何の役にも立たないと嘆いている。生きる金と死ぬ金。
 
 実人生で、女性とみれば、女優、人妻、小間使い、娼婦など、だれかれなしに関係し、83歳で没する間際まで、その作品の偉大さに匹敵するほどの大漁色家を誇ったユゴーであるが、金銭面は異様なまでの吝嗇家であったと伝えられている。
 
 
                     (未完)
 
 

  9   ユーロ・3
更新日時:
2002/01/12 
 
 近年頻繁に耳にするインフラということばは、周知のように「infrastructure」を略した日本語である。研究社の「リーダーズ英和辞典・第2版」によると、「基礎構造、土台、都市・国家などの恒久的基幹施設((道路・港湾・病院・学校・交通機関・通信施設など))」とある。
 
 塩野七生の大著「ローマ人の物語]」=「すべての道はローマに通ず」の前書きには、「インフラストラクチャーという英語自体が、ローマ人の言語であったラテン語の、下部構造ないし基盤を意味するインフラ(infra)と、構造とか建造とかを意味するストゥルクトゥーラ(structura)を、現代になって合成した言葉なのである」と記述されている。
 
 塩野さんはインフラをハードとソフトに分け、ハードには上述の辞典の恒久的基幹施設が入るほかに、当時の神殿、広場、円形闘技場、公共浴場、水道などを入れている。そこまでは、まあ誰しも考える事なのだが、さすが彼女の炯眼というか卓越したところは、ソフトと題して、安全保障、治安、税制に加え、医療(病院というハードではなく)、教育(学校ではなく)、郵便、通貨のシステムまで入ると言っている。
 
 勿論それは古代ローマ帝国のインフラを意味するわけなのだが、こんにちの発展途上国やアフガン、さらにはわれわれの住む町にも当てはまるのではないだろうか。塩野さんはITにまでは言及していなかったが、私が遊びに行くAさんやBさんのホームページは言うに及ばず、私自身のそれも、世界全体で数千万に及ぶであろうホームページも、ある種のインフラ・ソフトの範疇に入るのではないだろうか。
国家や地方自治体が導入したインフラではないという点と、他のインフラ・ソフト(教育、医療、郵便)に較べると急激に増殖したという点などの相違点はあるのだが…。
 
 通貨が「恒久的」インフラ・ソフトであることは、通貨の製造は国家だけに限定されているという事で明らかである。、個人が鋳造あるいは印刷&発行すれば、通貨偽造同行使という刑法上の罪に問われるわけであるし、だいいち、個人が好き勝手に造れるのなら、komori氏やXXさんの顔が5000円札に印刷できるわけで、そうなれば、旅先で悪い事はできない。
 
 勿論、賢明なる読者はもうお分かりでありましょうが、通貨鋳造は国家に一任するが、紙幣やコインのデザインは、一般公募の上、国民の多数決をもって決めるというシステムにすべきである、と私は考えている。
 
 そう言うと、明石家さんまやビートたけし、松島菜々子、モーニング娘などが候補に挙がる(公募段階で)のでは、とご懸念のむきもおありであろうが、なに、ご心配には及びません、意外とこの国の人たちはそういう時は真面目になるのです。
 
 巷間仄聞するところによると、ユーロ発行の12カ国では、ユーロの滑り出しは順調であるらしいが、私はそんなことはあるまいと思っている。イタリア、スペイン、ポルトガル、南仏などラテン系民族の多いところは、硬貨の裏に限定されたデザインに対して不満の声も多かろうと思っている。通貨は文化である、自国独自の通貨を持ちたいと切望することが文化である、と既に述べた。
 
 我等が同胞なら、誰が紙幣に印刷されても、1万円は1万円であって、聖徳太子だから1万円が倍にはならないなどと考える人もいようが、誰をデザインするかによって、貨幣的価値は変わらずとも、メンタル面に及ぼす影響は異なるのではあるまいか。その事は次回で。
 
                  (未完)
 
 

  10   ユーロ・2
更新日時:
2002/01/09 
  
 ヨーロッパを旅する者にとって、通貨の統一ほど便利なものはないと思う人は少なからずいる。とりわけ駆け足旅行の「10日間ヨーロッパ4カ国の旅」などというツアー参加者にとってみれば、両替が一回ですむという事はすこぶる利便性に富むというべきであろう。私なんぞはどちらかというとヒネクレている方なので、各国各々の紙幣を手にするたのしみが減った、と文句の一つも言いたい所であるが、それでも、各国各銀行によって搾取された法外な手数料が消滅したことは、誠に喜ばしい事と思う。
 
 オーストリア・シリングをリスボンの某大手銀行でポルトガルの通貨・エスクードに両替したら、8%の手数料を取られた経験をもつ身となれば、なおの事である。ちなみに8%の手数料を払い、異なる国で異なる通貨に4回両替したら、10万円は7万1千6百円に目減りする。
 
 銀行によっては12%の手数料を取る悪徳銀行もあり、英国、ドイツなどの一部の銀行を除き胡散臭いバンクも多いが、日本でも、あの悪名高い振込み手数料というのが存在し、銀行はいずこも手数料収入で稼いでいらっしゃるようです。
 
 無論コトは手数料の問題だけではない。銀行によって勝手に定められた交換レートは、前もって下調べをするか、地元の両替通に尋ねるかしないと、結局バカをみるのは自分なのだから。銀行の独自性などと手前味噌な事をいうが、なに、善良な市民からピンハネしているだけの話である。
 
 上記のような事に神経を尖らさずにすむだけでも、統一通貨ユーロの導入に賛成すべきかもしれない。今までのフランスの場合を例にとると、フランの下にサンチームという通貨単位があり、ドイツの場合ならマルクの下にペニヒという通貨単位があった。それらの単位もすべてユーロ・セントになり、1ユーロ=100ユーロ・セントで統一される。分かりやすい事この上なし。
 
 さて、通貨は文化であるなどといえば、そわ何事と思われるやもしれないが、通貨は文化であり、ある種のインフラ・ソフトなのである。私たち人間の活動の80%は経済活動である、と私はカネガネ思っており、経済活動のほとんどはカネとモノで成り立っていると愚考する。
 
 もっとも、だからこそ残りの20%の内の数%にすぎない無形の活動を大切にしなければならないのだが、それについては別稿に譲る。
 
 21世紀の統一通貨ユーロの登場は、古代ローマ以来の通貨統合などとのたまう人もいるようであるが、これは甚だ歴史認識を欠く言いようで、古代ローマ帝国は、確かにヨーロッパ全土に広大な版図をもち、銀貨や銅貨(カエサル以降は金貨も)を基軸とする通貨を帝国のすみずみまで普及させはした。しかし、普及はさせたが強制はせず、帝国内の自由都市、自治都市などの通貨鋳造を容認していたし、その通貨の流布・流通に関する自由も与えていた。
 
 古代ローマ人の感性というのは、民族意識の根底には、それぞれ異なる民族の数だけ文化が存在し、かれらはそれぞれの文化を自らの命同様大切にしていた、という事を理解しうる感性であったと想像させるのである。
民族独自の通貨を持ちたいと切望すること、それが文化なのだ。ローマ人はそれを分かっていたのである。
 
 人間活動の8割が経済活動であってみれば、文化の中にも経済は入り込んでいるのであって、その文化を支える者たちの中にも経済、すなわちカネやモノが関係していたのである。 
 
                    (未完)
 
 
 


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