ユーロが通貨として流通しはじめた2002年1月のある日、私は朝刊の為替レート欄を開き、フランス・フランを目で追った。二、三度各国通貨を凝視したが、フランス・フランの表示が見つからない。ドイツ・マルクは…と思った途端気がついた。そもそもあるわけがない、1月1日にユーロになったのである。
通貨がその国の顔であった時代は、EUに関しては終わった、英国など一部の国をのぞいて。ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、オーストリアなどユーロを使用する国々は、共通通貨ユーロを通して国勢、経済、市場の動向を予測したり議論できるようになった。
そして、各国が互いに価格競争を行うから、価格破壊が蔓延して物価(特に食料品)が下がるように喧伝しているメディアもある。私は必ずしもそうならないと思っているが、その点についてはいずれ別稿で触れる。
ユーロ紙幣は5ユーロから500ユーロまで(10・20・50・100・200)7種類のデザインがある。ヨーロッパの歴史上の建築様式の発展を、人と人をつなぐ窓&橋の絵柄によって表現しているようである。いくつもの星が円形をなしている図は加盟国の友好ということであろう。
星の数はユーロ発行国と同じ12個なのだが、どの紙幣を見ても、何個かの星をぼかしているのがいかにもヨーロッパであると思った。星は増えるかもしれないし、減るかもしれないのだ。EU加盟国は半世紀前まで1000年以上戦禍にまみれてきた。トラブルのないほうがむしろ不思議なくらいである。
硬貨(8種類)の片面には共通のデザインが描かれていて、ヨーロッパの地図が浮き彫りになっている。裏には、いや、そっちの面が表であると思うが、各国が独自につくったデザインが施されている。
イタリア・リラがユーロになったからといって、通貨の価値がいきなり変わるものではない。ご承知のごとく通貨の価値は毎日変動する。変わるものではないといいながら、実は変わる。そこが通貨の宿命なのかと思う。日々の変動は、大恐慌とか戦争のないかぎり、そんなに大きい幅はないのだが、為替相場は不安定要素が多く、相場の上下の予測はつかない。
通貨の価値が一年間同じ位置にとどまるという事が珍しいのであって、周囲の状況によってクルクルと変化する。私が通貨は文化であると書いたのは、文化も、文化の担い手の状況・環境によって変化すると思えるからである。
担い手の価値観と金銭的理由によって、文化に対する見方も変わる。過去の文化のすべてが今に残っているものではなく、また、現在文化としてもてはやされている文化が数十年、数百年後に存在する保証はどこにもない。文化も、時代によってその値打ちが変動する宿命をもっているのである。
かつて少数のパトロンたちが文化を支え、育成した時代に較べれば、今はむしろ幸運であるのかもしれない。文化の大衆化の到来は、不特定多数の人々が、少額の金銭によって文化を保護できるという事をも意味するであろうから。入場料や税金の投入という形をとって。
しかし大衆は気まぐれである。勿論、言うまでもなく、税金を使う側、すなわち、国や市町村の担当者も気まぐれである。気まぐれと言って語弊があれば、いい加減である。国は信用できないと言って、資金援助も会議への参加も断られた団体があったが、幸いなことに私はそういうしがらみとは無縁である。
(未完)
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