1   ユーロ・12
更新日時:
2014/12/28 
 
 文化はたとえそれが馴染みの薄い異文化でも、すぐれた文化、活力ある文化は国境を越えて伝播・流布する。音楽、美術、宗教、食、スポーツ、服飾など、民族や言語の垣根を一跨ぎし、洋の東西を問わず、信じられない速さで浸透していく。
 
 普遍性をもつ文化の宿命とでもいったらよいのか、その種の文化(すぐれて活力のある)は流通するのである。反面、それ以外の文化は廃れていく。それは、いくら宣伝しても、真に実力のない役者が大衆に受け入れられないのと同じである。
 
 活力のある文化と通貨の類似点もそこにあるのではないだろうか。悪貨は良貨を駆逐するなどというが、それとて悪貨が良貨より活力のおいて勝っているからであろう。16世紀前半のフランス国王・フランソワ1世は、フランス語を北フランスの方言・オイール語を公用語とした。いつの時代もそうであるが、時の為政者によって特定の文化が贔屓にされたり保護されたりして、他文化は顧みられないということはあった。
 
 しかしながら、翻って見るまでもなく、文化は保護育成されることにより普遍性をもつのである。最初から普遍性をもつと思われる文化と、文化の担い手や継承者によって普遍性を付与される文化。文化の多面性、先刻ご承知の通りである。
 
 私はユーロという「通貨」について書いてきたし、通貨は文化であると冒頭で述べた。読者諸氏におかれては、この小文の「文化」と「金銭」という文字を「通貨」に置き換えてお読みいただければ幸いである。勿論必ずしも金銭・文化=通貨というわけのものではないが、幾つかの文節で該当する箇所もあるのではないだろうか。
 
 冗漫な文章は読者を著しく退屈させるという。そして冗長さは筆者の単なる怠慢にほかならない。そういう意味では、拙文はすでにその域に達していると思われる。もう十分に冗漫であったゆえ、遅きに失したが退散いたします。
 
 
                   (未完のまま了)
 
3月から書き始めた「エッセイ」はこれにて終了。次回からは装いも新たに「エッセイU」をスタートさせる予定です。

  2   ユーロ・11
更新日時:
2002/02/17 
 
 文化の担い手や継承者が金銭に左右されることがあってはならないと思う。「レ・ミゼラブル」の著者ユゴーは吝嗇家であり、金銭にこだわり続け、19世紀末に莫大な資産を遺したが、相続すべき家族はすでになく、それらはすべて死に金となった。
 
 ユゴーの生まれる100年前、吉良邸に討入りした内蔵助ら四十七士は、最初お家再興のために金を使っていたが、途中で死ぬために金を使うこととなった。しかし、結果的にその金は生き金となった。生きる金と死ぬ金、生き金と死に金。その違いはあったが、「忠臣蔵」も「レ・ミゼラブル」も後世にのこったのである。
 
 私たち人間の活動の80%は経済活動である。そして大義名分の有無という相違点があるにせよ、内蔵助もユゴーも経済活動という荒波に翻弄された。一方は、不定期とはいえ、定まった多くの収入をいかに節約していくかに専念し、他方は、無収入の上に、限られたわずかな貯えが枯渇するまでに本懐を果たさなければならなかった。
 
 まったく異なるふたりの人物の共通点は、金銭に弄ばれたにもかかわらず、人間の本質という部分で後世にのこりつづけるのである。ユゴーとジャン・ヴァルジャン、内蔵助と由良之助、あなたと私。みな別々の人であるかのように見えて、実は同じ人なのかもしれない。そのようにしたくてもできなかった人と、したくなくてもやらざるをえなかった人とは同じ人なのかもしれない。
 
 両者に共通する人間の懊悩、ユゴーや竹田出雲らはその懊悩の極限を見事に描ききったが、私たちは描くことなく体験している。もしくは疑似体験して、作品や舞台に涙する。いや、順序が逆で、涙して疑似体験するのであろうjか。
 
 あなたも私もユゴー同様、生きた金を使おうとしたが、生かせたかどうか分からないだけなのかもしれない。お金を生かそうという意志が、実は文化なのかもしれないのである。
 
                    (未完)
 

  3   ユーロ・10
更新日時:
2002/02/09 
 
 ユーロが通貨として流通しはじめた2002年1月のある日、私は朝刊の為替レート欄を開き、フランス・フランを目で追った。二、三度各国通貨を凝視したが、フランス・フランの表示が見つからない。ドイツ・マルクは…と思った途端気がついた。そもそもあるわけがない、1月1日にユーロになったのである。
 
 通貨がその国の顔であった時代は、EUに関しては終わった、英国など一部の国をのぞいて。ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、オーストリアなどユーロを使用する国々は、共通通貨ユーロを通して国勢、経済、市場の動向を予測したり議論できるようになった。
 
 そして、各国が互いに価格競争を行うから、価格破壊が蔓延して物価(特に食料品)が下がるように喧伝しているメディアもある。私は必ずしもそうならないと思っているが、その点についてはいずれ別稿で触れる。
 
 ユーロ紙幣は5ユーロから500ユーロまで(10・20・50・100・200)7種類のデザインがある。ヨーロッパの歴史上の建築様式の発展を、人と人をつなぐ窓&橋の絵柄によって表現しているようである。いくつもの星が円形をなしている図は加盟国の友好ということであろう。
 
 星の数はユーロ発行国と同じ12個なのだが、どの紙幣を見ても、何個かの星をぼかしているのがいかにもヨーロッパであると思った。星は増えるかもしれないし、減るかもしれないのだ。EU加盟国は半世紀前まで1000年以上戦禍にまみれてきた。トラブルのないほうがむしろ不思議なくらいである。
 
 硬貨(8種類)の片面には共通のデザインが描かれていて、ヨーロッパの地図が浮き彫りになっている。裏には、いや、そっちの面が表であると思うが、各国が独自につくったデザインが施されている。
 
 イタリア・リラがユーロになったからといって、通貨の価値がいきなり変わるものではない。ご承知のごとく通貨の価値は毎日変動する。変わるものではないといいながら、実は変わる。そこが通貨の宿命なのかと思う。日々の変動は、大恐慌とか戦争のないかぎり、そんなに大きい幅はないのだが、為替相場は不安定要素が多く、相場の上下の予測はつかない。
 
 通貨の価値が一年間同じ位置にとどまるという事が珍しいのであって、周囲の状況によってクルクルと変化する。私が通貨は文化であると書いたのは、文化も、文化の担い手の状況・環境によって変化すると思えるからである。
 
 担い手の価値観と金銭的理由によって、文化に対する見方も変わる。過去の文化のすべてが今に残っているものではなく、また、現在文化としてもてはやされている文化が数十年、数百年後に存在する保証はどこにもない。文化も、時代によってその値打ちが変動する宿命をもっているのである。
 
 かつて少数のパトロンたちが文化を支え、育成した時代に較べれば、今はむしろ幸運であるのかもしれない。文化の大衆化の到来は、不特定多数の人々が、少額の金銭によって文化を保護できるという事をも意味するであろうから。入場料や税金の投入という形をとって。
 
 しかし大衆は気まぐれである。勿論、言うまでもなく、税金を使う側、すなわち、国や市町村の担当者も気まぐれである。気まぐれと言って語弊があれば、いい加減である。国は信用できないと言って、資金援助も会議への参加も断られた団体があったが、幸いなことに私はそういうしがらみとは無縁である。
 
 
                     (未完)
 

  4   ユーロ・9
更新日時:
2002/02/08 
 
 文化の担い手は、と書くと、自分の考えの頼りなさに萎縮し、文化の担い手のひたむきさに敬意を払いたい気持でいっぱいになる。そして同時に、自分の周りに重苦しい空気がたゆたうのを感じる。
 
 読者諸氏におかれては、文化の担い手も大切だが、文化の創り手のほうがさらに重要なのではないかとお思いになるかもしれない。しかしながら、古今東西、文化の創り手が重要視された世紀はあったであろうか。アルタミラの壁画からピラミッドまで、古代遺産の作者はすべて無名の民である。ピラミッドの創り手にいたっては奴隷ではなかったか。景徳鎮で青磁・白磁器を焼いた名工は囚人である。後世に名をのこした文化・芸術の創り手のほとんどは、死後再発見されたのであって、生前は多くの辛酸をなめて、なお報われることがなかった。
 
 かろうじて、王侯貴族や大名、あるいは金満家の庇護と恩恵に浴した者たちだけが、生前からある種の特典を受け、その名声が今に至るということはあるが、それは例外といってもよいほど少数である。
 
 文化が文化自体で存続することは至難である。日本の古典芸能だけを見ても、過去に何度存亡の危機に見舞われたことか。天保の改革時と米国占領時の歌舞伎、戦後の文楽、さらに昭和30年代の関西歌舞伎や狂言。多くの役者は本業以外で生活の糧を得ていたのである。生活の糧…いつの世も、文化を守るものと文化を脅かすものは同一人物である。彼の名を金銭氏という。
 
 文化の創り手と担い手、それらは別々のものではない。文化の深奥で互いに密接に手を組んでいる。時と空間を超えて金銭で結ばれているのだ。金銭は単に媒介にすぎないではないか、そう言われればそうかもしれない。文化を理解し、愛する心が時代を超越してお互いを結びつけているのかもしれない。だがしかし私には、むしろ愛が媒介で、金銭こそが文化の担い手たる者たちに必須であり、文化を長寿たらしめる常備薬であるようにも思えるのだ。
 
 文化にとっての不老長寿の妙薬、それが金銭なのであってみれば…私の心は重苦しさでいっぱいになる。金銭氏の賛同、賛助がなくなれば、文化氏はどうなるのであろう。健康なからだも、たちまちの内に薬の切れた重症患者になるのではあるまいか。
 
 文化はある時代の香りを伝えるという特命を帯びている思う。そのかぐわしい香りが悪臭に変わることがあるとすれば、文化に対する理解の不足によるのではなく、金銭の不足によるのかもしれない。そんな事を考えるのは時間の無駄であると分かっていて考えてしまうのである。
 
                      (未完)
 

  5   ユーロ・8
更新日時:
2002/02/06 
 
 ユゴーが「レ・ミゼラブル」を書かなかったらという仮定は、竹田出雲・三好松洛・並木千柳が「仮名手本忠臣蔵」を書かなかったらという仮定同様、後世の人間の意識を左右するほどの意味をもつ。文学、歌舞伎が文化であるということについては、異論のある人は少ないだろうが、私は本当に文化なのかと思うことがある。
 
 文学も歌舞伎も、史実に基づいていたり、実体験に根ざしていることが多いように思う。その限りにおいて様々な人の共感を呼ぶのであるが、18世紀も19世紀も、文学・歌舞伎に関心をもっていた人の数は現在に較べて多かったとは思えない。当時の都市に住む一部の人々に支持されてきたことは間違いないが、教育制度や情報伝達手段が充分でなかった時代に、全国レベルで流布されたとは到底思えないのだ。文学は文字が読めねば、そもそもどうにもならないのであってみれば。
 
 それに、ここが肝心な所であるが、文学は公共図書館の完備していない当時にあっては、庶民がたやすく手に届くものではなかったはずである。書を求めるより、パンを求めるほうが先決事項であったに相違ない。 
 
 歌舞音楽にいたっては、当時のこととてパトロン(王侯貴族あるいは大名)がいなければ、存続すら危うかったであろう。いわく宮廷画家(彼らは依頼された肖像画を描くことで生計を立てていた)、宮廷音楽家、宮廷詩人(これに対して吟遊詩人がある)など。歌舞伎は能と違って、京・大坂・江戸の庶民のものではないかという反論もあろうが、歌舞伎のパトロンは、蔵前、吉原、魚河岸であった。
 
俗に千両役者といい、人気役者の年俸が千両であったことでそういう用語ができたのだが、千両役者の年間経費はおそらくその数倍にのぼっただろう。贅をつくした衣装、羽振りのよい生活、歌舞伎関係者への祝儀。経費の不足分を補ったのが上記・三大スポンサー(パトロン)である。
 
 いまでこそ伝統的とかいわれているが、パトロン撤退後の伝統芸能は、そういわれて、やっと生き延びているようなものである、いや、あったというべきか。パトロン撤退後の娯楽の多様化、とりわけ映画、テレビ、蓄音機の普及は、古典芸能や古典音楽の大衆化に大いに寄与したが、それまでパトロンのおかげで贅沢のできた役者の生活にダメージを与え、移り気な大衆の影響化にさらされることとなったのである。
 
 しかし一方で、歌舞音楽の大衆化にともない、それぞれの文化がより広く普及することとなったのは、文化のもつ宿命であったのかもしれない。そして、これらの文化を維持するのは、従来型の少数スポンサーから不特定多数の大衆の、出し惜しみしないであろう金銭となったのであった。
 
 私はこの小論の冒頭(「ユーロ・2」)に、人間活動の80%は経済活動であると書いた。また通貨は文化であるとも書いた。そろそろ本題に入らねばならない。
 
 
                   (未完)
 
   
 


FUTURE INDEX PAST