61   片岡仁左衛門ー1
更新日時:
2001/03/20 
 歌舞伎役者、当代十五世の仁左衛門です。義太夫狂言、例えば「寺子屋」の松王丸、「仮名手本忠臣蔵」の由良之助、「熊谷陣屋」の熊谷などを演じたら比肩するもののない(熊谷は吉右衛門もいるではないかと文句を言うムキもありましょうが)仁左衛門のことです。
 
 人形浄瑠璃の床本の読みの深さは十三世譲り、その読みの深さが上記の役どころに深みと色彩を加味しているのです。
 「顔よし声よし姿よし」という言葉がピッタリする役者、なかなかいません、この人以外は。そういう意味では、由良之助も松王も三拍子そろっていなければ演じるのも難しい役柄ですね。二枚目が一番似合う役者なのですが、実は実悪(敵役の中で最も重い役)も似合う。
「先代萩・床下」の仁木。花道のスッポンから煙とともにドロドロと現れる。口に巻物くわえた妖術使い。この役わずか数分、ほとんどじっとしていてセリフもない、花道の引っ込み前に不気味な笑みをもらすだけ。
 
 たったそれだけのことなんですが、観客全員の目を釘付けにさせてしまう。
劇場全体が異様なといってもよいような緊張感に包まれる。
そういう意味では「土蜘」の僧・智籌(ちちゅう)などは鬼気迫るものがあります。
歌舞伎では「花道」の揚幕から人や動物が出てくる時、チャリンといって独特の音を出すのですが、智籌の出(で)は音を出さない。
出さないどころか、揚幕を上げるかすかな音さえ聞こえない。最大限神経を使ってそろっと上げるんですな。しかも、舞台では他の役者が演じていて、客はそっちの方に気がいっていて誰も揚幕の上がるのが分からない。
 
 しかし、その出のとき感じたんですね、いいようのない寒気を……。
この僧、実は土蜘の化身、妖怪変化であります。その妖怪のおどろおどろしさ、魑魅魍魎(ちみもうりょう)のオーラを花道の出で仁左衛門は発散させている。
それを感じて、思わずうしろ、つまり花道・揚幕のほうを振り返ったのです。
 
花道を音もなくやって来たのは、役者でも人でもありませんでした。
こころに怨念をもつ蜘の精そのものだったのです。
これを至芸と言わずして何が至芸でありましょう。
               
                     (つづく)
 
 
 
 

  62   石原慎太郎さんのこと
更新日時:
2001/03/19 
 羽田から伊丹空港行・航空機の最前列でうたた寝していたら聞き慣れた声が耳に入ってきた。慎太郎さんだった。すぐ斜め後ろにいらしたのですが、離陸前に突然眠気に襲われてトロトロしていたのでしょう、多分航空機の扉が閉まる直前に乗り込んだと思われる慎太郎さんの存在に全く気がつきませんでした。
 
 まだ衆議院議員時代のこととて、方々視察に行かれていたのか、トンガの話、トンガの王様のことなど話していらした。話の内容は、なにしろこちらが半分寝ていたので、よく憶えていません。仮に憶えていても、そういう状況でしたから殆どウロ憶え。個人名を挙げてウロ憶えの事を書くのは失礼なので、敢えて触れませんが、その時の慎太郎さんの乗客としてのマナーが私たち普通の人同様良かったのと、慎太郎さんとはそれから数ヵ月後また札幌便の機内で隣り合わせたということもありましたので書いている次第です。
 
 わたしが居眠りしていたせいかどうか、機が離陸してしばらくしても慎太郎さん、知り合いであろう隣の方に話しかけることはせず、機が「後20分で伊丹空港に着陸いたします」というクルーのアナウンスメント後、やおら上記の話をされ始めた。とにかく話がうまい。聞きたくもないのに、ついつい聞き耳を立ててしまう。
またその話ぶりが、押しつけがましい所なぞ微塵もなく、自然体で「とっておきの話」を惜しげもなく披露される。
 教えてあげよう、知らせてやるぞ、ではなく、知ってもらえれば嬉しい、役に立てればいいねという姿勢がそこはかとなく感じられる類の話っぷりでした。
座席の隣にいた人が、当時関経連会長・宇野さん(故人)であったせいということでもなかったと思いますね。
 慎太郎さんはもしかしたら、20世紀〜21世紀の啓蒙思想家なのかも。
18世紀の英国のJ・ロックやフランスのボルテール、モンテスキューのような。 おそらく時代の要請なのでしょう。 
こい願わくば、当時のヨーロッパ列強、ハプスブルク家のヨーゼフ2世や、ロシアのエカテリーナ2世のような啓蒙「専制」主義者にはならないでいただきたいと願っております。

  63   田中康夫さんのこと
更新日時:
2001/03/18 
 バブル華やかなりし頃、時々香港に行っていたことがあります。「ペニンシュラ・ホテル」・グランドフロアのショッピング・アーケード「BALLY」に、いまはもうカナダ・カルガリーに移住(香港の中国返還の前年)したOld Friendがいまして、彼との雑談と会食が楽しみで行っていました。
そんなある夜のこと、会食を終えてホテル(REGENT)に戻り、フロントでルーム・キーを受け取ってエレベーターのほうに向かおうとしたら、額に汗して、大きくて重そうな荷物をエッチラ、オッチラひきずるように運んでいる同朋がいるではありませんか。  康夫ちゃんでした。
ベル・ボーイはそこかしこにいるから、彼らに持たせればよいものを、あんなにたくさんの旅行バッグなのに、と一瞬思ったのですが、すぐに、そうか、ああいうところが田中康夫の田中康夫たる所以(ゆえん)なのかと思い直しました。
 ふっと目があった時に彼がみせた表情、なんとも良かったですね。長野県知事としてメディアのマイクに向かって話す顔とは大違い。爽やかな顔でした。
あの頃、康夫ちゃんは香港経由で頻繁にヨーロッパに行ってました。そのことは彼の「ファティッシュ考現学」に書かれているので省きますけど、何故香港経由なんだ?と思いませんか。
 それはつまり、彼が思いの外「Save Money」の人で、東京でまともに航空券を買うのがバカバカしかったのですね。日本航空は1ドル=280円ほどの為替レートで運賃を設定していました。他の航空会社も日航に追随する。米ドルの実勢レートは限りなく100円に近づいているというご時世であったにもかかわらず。
この日航のやり方が彼は気に入らなかった。香港経由でパリやミラノへ行くには時間もかかる。しかし、彼はそんなことより運賃が安いほうがいいし、まずもって日航への抗議の意味合いもあった。香港で航空券を購入すれば、大雑把にいって日本の3分の1強で買えました。田中康夫の理不尽なものに対する反抗精神は今に始まったことではないのです。
 

  64   あやしの魔力ー3
更新日時:
2001/03/21 
 だいたいガイドたる者の心得として、客より早く集合場所に来るのは当たり前のように思いますが、英語・バスのガイド、客より20分遅れてやってきた。
待っている20分は異様に長く、三倍は長く感じたのでありましたが、やっこさん悪びれたところは微塵も見せず、足早にバスに乗り込む。
ほかの客の反応はいかにと何人かの顔を観察したのですが、平気なんですな、これが。
要するに、20分は遅れたうちに入らない、所変われば品変わるゆえこんなものかと思ったが、さにあらず。このガイド、よれよれのコートを着ているのに、よく見ると似合っている。さらに観察すると、風貌は東欧のやりてスパイもかくありなんと思える面構え。大きな鉤鼻、キュッと締まった唇、尖った耳、狭い額、憂いをおびた眼、低いがよくとおる声、ネイティブ・スピーカー顔負けの英語、まるで、アレック・ギネスがスクリーンから飛び出して来たかのような雰囲気を醸し出しているんですな。
 
 そうか、この強烈な存在感がみなを惹きつけて、ひと言の文句はおろか、不満気な表情さえ浮かべさせなかったのかと納得しました。
50を五つ六つ越えていたでしょう。にもかかわらず、男の魅力ムンムン、頼もしいというか、Hというか、たいしたガイドでありました。
昔はスパイであったに相違ありません。それが、旧・ソ連の解体、東西冷戦構造の消滅かなんかで職をなくしたのでしょう。
それで今はスパイ時代に鳴らした語学でガイドをしているに違いありません。

  65   あやしの魔力ー2
更新日時:
2001/03/18 
 96年10月プラハを訪れたとき、市内の旅行代理店でカルロ・ヴィヴァリまでの英語日帰りバス(ガイドが英語で説明してくれる)の予約をしました。
日本でもチェコ政府の観光局を通して予約できるのですが、ちと高い。また、いったん予約すると払い戻しがきかない。面倒でなければ現地にてコトをすませるのがよろしかろうと思います。
 
 さて、この日帰りバス・ツアーは思いの外面白い。
様々な国から旅行者が参加しているせいか、国際色豊かで色々の言語が飛び交う。英語もアメリカ語、キングス・イングリッシュ、オージー英語、カナダ英語、北京英語(?)と実に多彩。
乗客の中にドイツ人やフランス人などもいたのですが、どうしてわざわざ母国語でもない英語・バスを選んだのか不思議だったので訊いてみました。(日帰りバスは英語のほかにドイツ語・バスもフランス語・バスもあるのです)
年の頃40代半ばでフランスのナントに住んでいるそのムッシュは、「フランス語の発音が聞きづらいし、文法の間違いも多いからしゃくにさわる。いっそ英語のほうがイライラせずにすむ」ということでした……。
 
 カナダのバンクーバーから来たハンサム中年男は、自分の座席近くの同性すべてに「ゴルフ」の話をもちかけていました。
彼とはその夜偶然ホテルのエレベーター前で出くわした。
同じホテルに泊まっているのも何かの縁と思うのは我々だけではないようで、横にいる奥さん(太めのミス・マープル風。貫禄十分)が彼を制するまで延々とお喋りなされました。ふたりともオペラ帰りで、たまたまその時イタリアの著名なメゾ・ソプラノが出ていたので、彼女の歌はどうでしたか?と尋ねました。
どうやら歌の間は居眠りかなにかなされていたようで(オペラから歌を取ったら何が残りましょうや。序曲と間奏曲しか残らないではありませんか)、しきりに国立歌劇場の内装の絢爛にして豪華なありさまの説明を、特にシャンデリアが見事であったことを力説されておられました。
 


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