歌舞伎役者、当代十五世の仁左衛門です。義太夫狂言、例えば「寺子屋」の松王丸、「仮名手本忠臣蔵」の由良之助、「熊谷陣屋」の熊谷などを演じたら比肩するもののない(熊谷は吉右衛門もいるではないかと文句を言うムキもありましょうが)仁左衛門のことです。
人形浄瑠璃の床本の読みの深さは十三世譲り、その読みの深さが上記の役どころに深みと色彩を加味しているのです。
「顔よし声よし姿よし」という言葉がピッタリする役者、なかなかいません、この人以外は。そういう意味では、由良之助も松王も三拍子そろっていなければ演じるのも難しい役柄ですね。二枚目が一番似合う役者なのですが、実は実悪(敵役の中で最も重い役)も似合う。
「先代萩・床下」の仁木。花道のスッポンから煙とともにドロドロと現れる。口に巻物くわえた妖術使い。この役わずか数分、ほとんどじっとしていてセリフもない、花道の引っ込み前に不気味な笑みをもらすだけ。
たったそれだけのことなんですが、観客全員の目を釘付けにさせてしまう。
劇場全体が異様なといってもよいような緊張感に包まれる。
そういう意味では「土蜘」の僧・智籌(ちちゅう)などは鬼気迫るものがあります。
歌舞伎では「花道」の揚幕から人や動物が出てくる時、チャリンといって独特の音を出すのですが、智籌の出(で)は音を出さない。
出さないどころか、揚幕を上げるかすかな音さえ聞こえない。最大限神経を使ってそろっと上げるんですな。しかも、舞台では他の役者が演じていて、客はそっちの方に気がいっていて誰も揚幕の上がるのが分からない。
しかし、その出のとき感じたんですね、いいようのない寒気を……。
この僧、実は土蜘の化身、妖怪変化であります。その妖怪のおどろおどろしさ、魑魅魍魎(ちみもうりょう)のオーラを花道の出で仁左衛門は発散させている。
それを感じて、思わずうしろ、つまり花道・揚幕のほうを振り返ったのです。
花道を音もなくやって来たのは、役者でも人でもありませんでした。
こころに怨念をもつ蜘の精そのものだったのです。
これを至芸と言わずして何が至芸でありましょう。
(つづく)
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