51   敗者復活戦
更新日時:
2001/04/24 
 まずはめでたい。なぜめでたいかと言うと、今回の自民党総裁選にまつわる一連の濃厚な出来事は、それまで頭の固かった(とわたしは思っている)地方の自民党員が、実はあんまりな自己中心主義の橋本派主流に対して反旗を翻し、その結果、わたしたちの考えにやや近い地点まで来た事を示唆しているように思えるからである。
 
 やや近いと書いたのはわけがある。7月に行われるであろう参院選がなければ、かなり近いと書けるのだが、やはり参院選の大敗はなんとしても避けねばならぬ最重要懸案事項であろうから。
 
 それはそれとして、小泉さんは過去二度自民党総裁選に立候補して敗れている。言うまでもなく小渕派、つまり旧経世会の数の論理に敗れたのだが、多数派に阻まれたのは小泉さんだけではない。
 
 約半年前、小泉さんの朋友・加藤紘一氏が森政権、いや実際は旧経世会政権に反旗を翻したとき、橋本派の野中一派の裏工作に苦汁をなめさされている。
加藤さんは、最後の最後でやや腰砕けになった感があり、とても残念に思ったが、その後の加藤さんの言動に耳を傾けていると、必ずこの人には捲土重来のチャンスが巡ってくると感じた。
 
 小泉さんが今回立候補を表明した時、加藤さんは最初から強く小泉さん支持に回った。そうか、この闘いは、ひとり小泉さんの闘いであるのではない、加藤さんの、そして、なによりもわたしたち自身の闘いであったのだ。
 
 この何年、旧経世会を初めとする自民党の政治手法にずいぶん悔しい思いをしてきたものだ。
国民をないがしろにするにもほどがある。かれらの多くは、完全に、この「ほど」を大きく逸脱していたのである。
 われわれは、高い税金を支払っている。詳細は言わないが、わたしはこの十年同年代のサラリーマンの2〜3倍の税金を納めてきた。
そのほとんどがドブに捨てられたという悔しさを、わたしは拭えないでいた。
 
 無論、わたし個人の問題以外のところにもっと、もっと大きな問題が存在する。それは別稿に譲るとして、ともかく今回小泉さん、加藤さんの敗者復活は成った。
そして、わたしたちの敗者復活戦もこれから始まるのではあるまいか、そうでなければ、小泉・加藤は浮かばれても、わたしたちは浮かばれないのである。
 
 

  52   英国人ドライバー
更新日時:
2001/04/21 
 英国の一般道路を車で走っていると常々思うことが幾つかある。
市街地と違って、郊外やカントリーサイドではすれちがう車も少なく、快適なドライブが約束されて、まさに「Fun to drive」、イタリアやフランスの道路のようにいらつくドライバーも殆どいない(殆どというのは、たまにいらちがいる)ので、比較的マイペースの運転が可能である。
特にウェールズやスコットランドに行くと、道が空いているのとマナーのよいドライバーの多いせいか、通い慣れた道を走らせるがごとくリラックスして運転できる。
南イングランドや中央イングランドはその点、一般道路を、それもアップダウンの多い曲がりくねった道を、信じられないスピードで走っているのがおるから油断できない。
とはいっても、概ね(おおむね)ドライビング・マナーはラテンの国より数段よろしい。
 
 ドイツは郊外の一般道路の制限速度は100qであるが、はっきり言ってだれも守っていない。
わたしなど片側一車線道路で正直に100を守っていたら、背後からクランクションをけたたましく鳴らされて面食らった事がある。バーデン・ヴァイラーからフライブルクへ向かう途中の事だった。
F1チャンピオンに数度輝いたミハエル・シューマッハはドイツ人でしたな。
無謀運転はサーキットだけにしてくれと言いたいところであったが、ドイツは運転マナーが良いというのはアテにはなりませんですな。
 
 フランスは89年7月南仏ニースやカンヌの海岸通をドライブしたが、ここは暴走族通りと言ってもよろしい。四輪車の多くは概ねふつうに走っているが、二輪車は地獄の一丁目へ直行したがっているような走りっぷり。
命知らずはどこの国でも若者の特権なのですな。
 
 さて、英国ですが、常々思うことのひとつに運転技術の巧みさがあります。
カントリーサイドの狭い道を70〜80qで流していると、たまに対向車に出くわすことがある。この狭い道というのは、かなりの狭さであって、お互いが80qのスピードで走っていたら、きっと衝突するであろう道幅。
畑などに沿った道であれば垣根がある。そこを対向車は、スピードを緩める気配など微塵も見せずにこっちへ向かってくる。
こっちはおっかないからスピードを緩める。やっこさん、それを尻目にそのまんまの高速でサッとすれ違う。
垣根との距離はほぼ5pくらい。わたしの車との距離もだいたい同じ。ようやる、サーカスじゃあるまいし。
こういう経験、一、二度程度なら、ああいう無茶をするのもいるのか、ですむが、狭い道で対向車とすれ違う度にやられたら、いきおいある種の結論に達しざるをえない。
 
うまい!のだ、運転が。車幅感覚がきわめて鋭いのだ。
日本人がF1レースで優勝できないわけです。
 
 
 

  53   目的税
更新日時:
2001/04/20 
 フランスやドイツの小さな町で宿をとると必ずといってよいほどこのささやかなTAXに出会う。
12年前の89年7月、ドイツの温泉保養地バーデン・バーデンに3泊したとき初めて目的税なるものを知った。バーデン・バーデンは69年8月以来20年ぶりの再訪であったが、勿論その頃(32年前)は目的税という用語を知らなかったし、知っていたとしてもあまり関心がなかったように思う。
 
 バーデン・バーデンのバーデンは周知のとおりドイツ語で温泉という意味で、古代ローマ時代から温泉地として知られていたドイツ屈指の高級温泉リゾート地であり、その名に恥じない素敵なホテルもあるが、この地の特筆すべき点は、町全体が深い緑に包まれ、木々や花々の育成・整備が人の手で懇切丁寧に行われているというところであるように思える。
 
 かつてブラームスなどもこの地で静養し、作品の構想を練ったやに仄聞するが、町の規模も大きからず小さすぎず、だいたい午前2時間、午後3時間で町の全容が把握できる程度ゆえ、3〜4日も滞在すれば、すっかり町の顔役になったつもりで「まかせなさ〜い」という気になれる。
だから親しみもわくし、そのぶんくつろげるというわけである。
 
 4日目の朝チェック・アウト時に明細書を見て成る程なと感じたのが町税の賦課で、当時の1マルク(89年で約80円)×人数×宿泊日数がホテル代金に加算されていた。
これすべからく町の環境保護や歴史的建造物の保全・修復にあてられる。
すなわち目的税である。宿を利用するすべての人が平等に支払う。州や国を経由しないから、途中で違う目的に使用されたり、役人や政治家の宴会やヤミ給与に充てられる事はない。
まことに単純明快、誰にでもわかる。
これすべてガラス越し。どこかの国とは大違い。
 
 英国ではレンタカーに課税される。これは一日一台につき2ポンド(約360円)。道路の整備、修復、建設に充てられる目的税である。
 
 フランスでは、ドイツ同様小さな町のホテルに泊まる際に付いてくる。99年10月、フランスのミディ・ピレネーを旅したが、そのうちコルドでは一日一人(以下同じ)3フラン(約50円)、ロカマドゥールでは5フラン、サルラでは5.5フラン。
これらの目的税は言うまでもなく上記の歴史的建造物の保全・修理と町の環境保護に充てられる。町が国を頼らず、町民が自分たちの町は自分たちで守るということの発露である。
 
 民意を反映させるという点では大人の国、大人の町・ヨーロッパに見習うべきところは多い。市民革命とは民意反映を得るための闘いであった。日本の政治は一部の人や、選挙で自民党に投票する団体の民意しか反映されない。最近では、そんな人たちの民意も反映されないこともあるようだ。
 
 一体だれの民意を反映させているのでしょうか?
 そもそも民意の存在に気づいているのでしょうか?
 
 

  54   髪結いの亭主
更新日時:
2001/04/15 
 阪神大震災の被害にあってなくなってしまったが、大阪・北浜の三越最上階に「三越劇場」という洋画専門の映画館があった。
 
 日曜の最終回はいつもガラ空きだったのでつれあいとよく見に行った。
ここで見たフランス映画の名作は、いまでもはっきり憶えている。
 
 子供の頃の夏休みをありありと思い出させてくれた「マルセルのお城」、時代劇の醍醐味をまざまざと蘇らせてくれた「シラノ・ド・ベルジュラック」、天涯孤独の貧しい青年と片目を失うおそれのある貧乏画学生の息詰まる恋を描いた「ポンヌフの恋人」など、こころに残る映画たち。
 
 あの頃、わたしのつれあいは難病に苦しみ、闘い、傷つき、打ちのめされ、出口の全く見えない日々を送っていた。
 
 大阪府八尾市の断食道場でつらい毎日の連続であったが、週に一回わたしと外出し、奈良のお寺までドライブしたり、外国映画を見ることだけが彼女の唯一の楽しみだった。
 
 外出しても、外食は一切できないのだ。
十年間ありとあらゆる対処療法を試みた。
転地療法、漢方療法、臍帯埋没療法、カボス療法、温泉療法、そのほかすべて効果がなく、八尾のK先生の考案された青汁療法が最後の望みの綱であった。
 
 そんな頃に見たフランス映画のひとつが「髪結いの亭主」である。
いまは中年男の主人公は床屋が好きである。子供の頃、その床屋には豊満なからだとむせかえるような色香を発散させていた女髪結いがいた。子供のくせに彼は女髪結いの体臭、かぐわしい匂いをかぎに床屋へ通った。
 
 ある朝彼が床屋に行き、閉められたカーテンの隙間から覗くと、その女髪結いが倒れていた。
心不全で急死したのである。
 
 それから幾十余年の歳月が流れ、床屋の経営者も何人か代わった。
その床屋にしばらく足が遠のいていた男は久しぶりに行ってみた。
すると、子供の頃見たあの女髪結いよりさらに芳醇で色香に溢れた女が客の髪を梳(す)いていたのであった。
 
 中年男は女を見た瞬間、金縛りにあった。
女も男を一目見て、神的出会いだと直感した。
 
 ふたりは当然の成り行きとして結ばれる。
束の間の静かで幸福な日々。
 
ある夜、女は激流に身を投げる。あんなに愛し合っていたのに。
 
これ、何故だか分かりますか?
 
 ちなみに、わたしはこう思います。
女より亭主のほうがかなり年上です。こころから深く愛し、自分の唯一の生きる支えである亭主が自分をのこして先に死んだら、これにまさる不幸はない。
女はその強迫観念にとらわれ、そんな日が来る前に死ぬ方がいいと思って死を選んだと思うのです。
 
 

  55   アグネス
更新日時:
2001/04/11 
 チャンでもラムでもレディでもない、ロカマドール・「ホテル・シャトー」のアグネスの話です。
 
 99年10月1日弥次喜多と遠山の金さんの三人が連れ立って旅に出たと思って下さい。スコットランドと南西フランス・ミディピレネー20日間の旅。この旅行は余りにたくさんの出来事があり過ぎて何度かに分けて語らねばなりませんが、今回は真面目なお話。
 
 スコットランドのストーンヘイブン、ピットロッホリー、グレンコー、スターリングなどをレンタカーで回り、エジンバラからトゥールーズへ空路で来た。
そこからフランス鉄道を利用して、カルカソンヌ、アルビ、ロカマドール、サルラ(サルラ・カネダ)と移動したのですが、なにしろローカル駅のことゆえ、日本と異なり駅前タクシーなどというものは一里四方影も形もありません。
 
 カルカソンヌでもアルビでも駅付近の公衆電話でタクシーを呼び出さねばならない。無線タクシーですな。これが殆ど個人営業なので、携帯か、さもなくば自宅の奥さんか、愛人の家につながる。自宅につながればまだしも、ラマンの家だとチト面倒でして、ラマンと事に及んでいたらえらいこと、電話に出ないか、出てもケンもホロロ、とりつく島もない。
従ってタクシーは来ないか、来ても到着まで時間がかかる。まあ、タクシーの来るのをのんびり待つしかございません。来てくれればオンの字でしょうな。
 
 ロカマドールという中世の巡礼都市がありまして、この町の絶壁の上に実に眺めのよい修道院がある。
ここに行きたくて、ロカマドール駅で下車しました。二両編成のひなびた列車にはわれわれの他には客ひとり、ロカマドールで降りたのはわれわれだけ。
えらいこっちゃ、駅前に公衆電話あるやろか、列車から降りた途端に目の前が薄暗くなりました。
しかし、あった、公衆電話ボックスは駅前にありました。それ以外は廃屋が2軒と人はいないが、馬が2頭庭で遊んでいる家だけ。
 
 不吉な予感がしつつも無線タクシーを呼ぶしかない。駅の掲示板に個人タクシーの電話番号が二種類書き込んであったので、震える手でプッシュした。
 最初は自宅でしょうな、奥さんらしき人が早口のフランス語でなにやらのたまっておりました。もそっとゆっくり話してくれと言ったら、「出かけている」という意味のフランス語をゆ、っ、く、り言ってくれた。
 
 次はあきらかにラマンですな、携帯からの転送でした。ラマンが直に出て、英語で「取り込み中だから配車できません、ごめんなさいムッシュ」と艶のある声で言う。ちょっと鼻にかかっていましてな、幸せそうな声でした。
もう破れかぶれ、ホテルに連絡するしかないと思い電話した。
出た声は事務的で、無線タクシーの電話番号を教えてくれた。それはわたしが先程TELした所と全く同じ。事情を言って何とかならないかと注文をつけた。
一瞬の無言状態の後、そこで待っていろという返事がありました。
 
 馬2頭を眺めながら、待つこと20分、ダーク・グレイのオペル・ベクトラが風を切り颯爽とやって来た。
ドライバーは年の頃26、7の上背のあるがっしりした女性でした。
名はアグネス、ホテルのオーナーの娘さんで、わたしとFAXでやりとりした当の本人、ものの言い方はぶっきらぼう、しかし、弥次喜多と金さんが感謝の言葉を言ったら、ポッと頬を染めたときのあの顔、忘れられません。
 


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