9      乱れる日本語(番外編)
 
 表題が表題だけに、最近問題視された太田某と森某の失言が取り上げられてもいいのではというメールが送付されてきたのであえて申し上げます。
太田某のレイプ発言、森某の子を産まない女性云々発言は、政治をなりわいとする男たちの暴言にも似た失言であり、あの類の話なら永田町や赤坂の料亭で毎夜交わされている話でありましょう、ただしオフレコで。
 
 政治家は国会で法案をとおすのが仕事の主たるところで、法律の親玉の六法全書のなかのどこを探しても「愛」という言葉はない。愛をもってとか、愛のためにとかは法律そのものとは無縁なのである。
 
 立法府に属する政治家のもっとも苦手とするのが愛であろうし、愛と名のつくものは、愛人、愛妻、愛息など、できるだけ表に出したくない。表に出すくらいなら失言して評判を下げるほうがマシだと彼らは考えている。法律書に愛という言葉がないからではあるまいが、彼らは愛が苦手なのだ。
 
 議員歴が長くなれば長いほどその傾向は強くなるといっても過言ではないようにも思えるのであるが、そうはいっても現総理のようにふとした瞬間に愛をいう人もいて、これはやはり人にもよるのかと思ってしまう。
国籍の如何を問わず人間を救うのは愛であるべきはずなのだが、彼らは最終的に金が人間を救うと考えているふしがあり、そこがきわめて官僚的といえる。
 
 金は愛の表現の一手段にすぎず、愛のない金は場合によっては反発を喰らうこともあろうし、よしんばそうならなくとも、愛のない出資が尊敬されることはない。ODAの援助が途上国において歓迎されることはあっても尊敬されることのないのはそういう理由による。
 
 総じて政治家は言葉を大切にしない。美しい言葉が彼らの口から出ることはごく稀であるし、公約が遵守されることもまた稀である。公約を実現するにはとかく邪魔が入るとみっともない言い逃れをする者もたまにはいるが、元来公約は言葉であり、言葉であるかぎりにおいて大切にされないの自明の理、君子は豹変する、人の噂も75日と嗤ってすませるであろう、彼らなら。
 
 「乱れる日本語」に彼らの失言を引用しなかったのは、もともと彼らの姿勢が上記のごとくであるからである。愛を苦手とし、言葉を大切にしない者たちのことを取り上げても詮なきことではあるまいか、突然乱れたのではない、最初から乱れているのであってみれば、俎上にのせる価値はない。
更新日時:
2003/07/08
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