60      松坂大輔
 きょうはプロ野球「西武×ロッテ」戦をテレビ観戦しながらこれを書いている。朝刊の先発予告で松坂と黒木の投げ合いが前もって分かっているからである。今年のパリーグのペナントレースで松坂・黒木の投げ合いは初めての事だ。
 
 98年夏の甲子園・高校野球での「横浜×PL」戦・延長17回の死闘は記憶に新しい。
互いに一歩も譲らず、点を入れられたら奪い返すというせめぎあいがえんえんと続いた。高校野球史上まれに見る好ゲームだった。
 
 勝利の女神は横浜高校にほほえみを贈ったが、PLも負けてまだ強しという印象を全国の視聴者に強烈にのこして甲子園をあとにした。
 
 翌日の準決勝で横浜は高知・明徳高校と対戦した。横浜の先発投手は松坂ではなく袴塚という2年生。これを好機とみた明徳は序盤からじわじわと点をとり、テレビの前の99%以上の視聴者に横浜敗れたりの思いをイン・プットした。
 
 終盤、皆が諦めた時に横浜が反撃に転じた。そして軽く肩ならししていた松坂の登板を迎えるのであるが、松坂はブルペンで腕に巻いていた保護用のテープを自分でベリベリ引きはがした。カメラはそのときの松坂の姿を見事にわれわれに伝えたのである。
 
 あのとき、松坂の勇姿をテレビで見て、松坂のかっこよさに感動し、目にうっすら涙を浮かべた人も多かろう。
400勝という前人未踏の大記録をつくった昭和の大投手・金田正一をして、「松坂は野球に取り組む姿勢が違う」と言わしめたが、この金田氏のことばは最大級の賛辞なのである。
 
 その松坂が、何を血迷ったか、女にうつつをぬかしている。バカも休み休みにしろ、私は去年のシーズン・オフからお冠である。君はあの大投手・金田が太鼓判を押したピッチャーなのだ。パリーグが指名打者制だからといっても、球場外で夜のバットを振るのは控えなさい、そう諫言して松坂の全精神をマウンド上の投球に集中させたい。
 
 かれの類い希なる集中力はいま分散している。それゆえ持続力にガタがきているのである。この時期に9敗も10敗もする投手ではないのだ松坂は。松坂大輔の復活をこころから願ってやまない。 
 
(注: 更新の日付は7月15日になっていますが、この文章は7月13日に書かれました)
更新日時:
2001/07/15
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