51      長嶋茂雄
 きょう長嶋さんが現役引退を発表した。昭和49年選手として引退して27年、名実共に野球界から姿を消す。
 
 長嶋さんは選手時代ここぞという時にクリーン・ヒットやホームランを放った。味方チームが5対4で負けている。ランナーがひとり二塁にいる、ヒットで同点、ホームランで逆点という場面に必ずといっていいほどヒットやホームランを打った。チャンスに強かった。野球ファンの願いを叶えてくれた。
 
 長嶋さんが監督になって、必ずしもチームは好成績に恵まれつづけたわけではないが、野球に賭ける熱い思いと、独特の身ぶり手ぶり口ぶりでファンを魅了した。野球選手は野球だけをやっていればよいという過去の価値観をくつがえした。
 
 野球はスポーツ、スポーツは勝負がつきもの、勝負の世界は厳しい。いまでこそ野球を楽しむなどと言ってもだれも耳を疑わないが、われわれの子供の頃は、心で楽しんではいても口に出すのははばかられた。野球は勝つために、負けないためにやらねばならない。敗戦を引きずっていたのである。そういう時代であったのだ。
 
 そういう時代に長嶋さんは野球を楽しんでいた。ファンに対してのサービス精神が人一倍、いや、人百倍旺盛な人だった。そして長嶋さん自らも野球を人十倍楽しんでいた。打っても守っても絵になる人だった。三振してもエラーしても悔しさ面白さが溢れかえっていた。
 
 長嶋さんは夢を売る男だった。みなに夢を見させてくれた。スポーツといえば力道山率いるプロレスが人気NO.1であった当時の世相から、野球を人気NO.1の座に据えたのは長嶋さんの功績であると言っても過言ではない。長嶋さんには千両役者の風格と品格、そして何よりも花があったのである。
 
 私はいつの頃からか何十年も野球に夢中になることはなかったが、常に長嶋さんのことは気になっていた。男・長嶋茂雄は球界を去る。五右衛門のいない南禅寺楼門は、桜が満開であっても絢爛豪華とは言い難かろう。長嶋さんは球界の動く錦絵であった。20世紀最高のスポーツ選手であった。
 
 
更新日時:
2001/09/29
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