47      水を得た魚
 
最初に浮かんだ表題はこれではなかったのだが、ちょっとの間ほかの事をしているうちに忘れてしまい、上記の題名にした。
 
田淵幸一氏は通った大学こそ違うが私と同世代で、神宮の森で熱戦を繰り広げたライバル校の花形選手であった。当時、東京六大学野球は早稲田、慶応、法政の三つ巴の様相を呈しており、わが母校には谷沢、荒川などの強打者が神宮を賑わせ、慶応は高知出身の投手・上岡が体躯に似合わぬ速球を繰り出し、法政の三羽ガラスと謳われた田淵、山本(浩二・現広島監督)、富田の打棒が球場の空高く火を噴いていた。
 
明治に星野という剛腕投手がいると噂には聞いていたが、神宮で実際に見たことはなかったし、星野と田淵がその頃から親交があったことなど知るよしもなかった。
 
今回、野村夫人に対する国税局査察に端を発する脱税ドタバタ騒ぎで、瓢箪から駒とあいなった次第であるが、これは結果的にプロ野球界と野球ファンにまたとない活力をもたらした。立教から南海へ行った杉浦さんは正真正銘の紳士であり、人品骨柄申し分のない方であったと思うが、先日急死された。田淵幸一氏は杉浦さんとは人となりが少し違うが球界の紳士である。正確にいうと、人生の山谷を乗り越え本物の紳士となった。元来、田淵氏の人柄の良さは多くの人の認める所ではあったのだが。
 
スポーツ選手はスポーツのことだけ考えていればいいなどと言う人もいるが、私はそうは思わない。いったんグランドに立てばそれでよいとは思うが、スポーツ選手といえども人間である以上は、グランドを降りたら人として良識ある言動を自らに課さねばならないと思っている。ここは人間社会であって、野生の動物が采配をとっているわけのものではないのだから。
 
とりわけ、選手をまとめ、選手を鼓舞し、チームを勝利に導くことを使命とする立場にある監督、コーチは、ただ野球のことを知っているだけでよいというものではなかろう。指導力とか統率力とかもっともらしい事をいうが、まず人間の事を知っておかねばなるまい。人の心わからずして監督、コーチなどあったものではない。
 
田淵氏はこの十数年間まさにモヤモヤ状態であったと思う。野球人なら誰でもそうだが、やはりユニホーム姿が一番よく似合うし、生き生きしている。あの江川ですら、原がジャイアンツ監督に就任した時、ピッチング・コーチの声が掛かるのを内心期待していたのではないかと私は思っている。監督、コーチの重圧など彼らにとって物の数ではあるまい、野球をやることの喜びに較べれば。
 
田淵氏のモヤモヤがほぼ頂点に達した時に星野氏は阪神タイガースの監督になった。まさに青天の霹靂であったろうこの話は、田淵氏にとって幸運以外の何物でもない。どんな形であれ、古巣に戻り、盟友・星野氏と共に野球ができるという事、それがすべてであると言っても過言ではなかろう。
田淵氏には花がある。その花を今一度咲かせることができる。これに勝る喜びはない。田淵氏の爽やかな顔が何よりもその事を物語っている。
 
人生に賭けるものは異なっても、同時代を東京六大学で過ごした者のひとりとして慶賀の念にたえず、この一文をしたためた。
 
 
更新日時:
2001/12/21
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