45      カルザイさん
 
 「ここにいる代表団は本当のアフガニスタンの姿ではありません」ということばからはじまったカルザイ・アフガニスタン暫定行政機構議長の演説は、まだ全文を入手しているわけのものではないが、心にせまるものであった。
 
 用意されていたスピーチ原稿を、いったん開きかけたのだが、余程こころに期するものがあったのであろう、カルザイさんはそれを閉じて、自分のことばで語り始めたのである。この、アフガニスタン復興支援国際会議に参加した誰もが予想だにしなかった展開。カルザイさんの台本なきスピーチは30分に及んだという。
 
 思えばちょうど30年前の1972年10月、私がアフガンを訪れた時、どの町や村でも、子供たちはキラキラ輝いた目で、「学校へ行きたい、学校へ行って、たくさんのことを学びたい、外国のことばも、外国のこともいっぱい知りたい」と一様に言っていたのを思い出す。
 
 と、まだ、たったこれだけしか書いていないのに、私はもう胸がいっぱいになって、なにも書けない。マスード亡き後、だれがアフガニスタンの希望の星になってくれるのか、一日千秋の思いで私は来た。カルザイさんがそうなってくれればとも思う。当分の間、アフガンは学校、病院、電気、水道、住宅などのインフラの整備が必要であるし、多額の現金、多数の人員などの支援を大急ぎでしなければなるまい。そして、極貧の人々にとって、希望の星はやはり必要なのである。
 
 どこかでも書いたように思うが、EUの役割は重要である。あらゆる支援へのノウハウを、かれらは歴史的積み重ねで手中のものとしている。プレスの報道するところによると、2002年最初の1年間の(支援の)拠出額も、日本・2億5000万ドル、米国・2億9600万ドル、EU・5億ドル。
拠出する金額の問題だけで事を云々するのは間違っているのを承知で言うが、EUは偉い。EUは現金だけでなく、人的資源も他国の及ばない、多数かつ有用の人員提供をするつもりなのだ。
 
 アフガニスタンの人々は、貧しくとも誇り高い人が多い。その誇り高さは、かれらの勲章であり、それは、どんな立派な勲章にも勝る。誇り高いのは大人だけの話ではない。幼い子供までもが誇りを大切にしている。私はその誇り高さゆえに、他のどの国よりもアフガニスタンが好きなのである。アフガニスタンが自分自身と同化しているのも、かれらの誇りゆえなのだと思う。
 
 将来はまだ見えないし、やっと復興に向けての枠組みがつくられはじめたばかりであるし、何かを書くには時期尚早であると分かっているが、この数ヶ月、ただ成り行きを見守るだけで悶々としていた自分に区切りをつけたかった。やはり自分にはアフガンは書けないと思う、口惜しいことこの上ないが。
 
更新日時:
2002/01/22
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