33      コーヒーブレーク (2)
 
 家庭内ホームレスなどと誰が命名したのか知らないが、うまいことを云ったものだと思う。ふた昔前に親子断絶という造語があって、その語感から否応なしにある種のやりきれなさを感得した人も少なくなかったはずである。それに較べて家庭内ホームレスから想像するのは、わがままな子供と自分勝手な奥さん、そして権威を失墜したやさしいパパである。
 
 子供と奥さんは相身互いゆえ、何事につけ意見を調整したり、好みを合わせたりして結託している。パパが山に行きたいと言っても、彼らは海にしようと言う。パパがうなぎの蒲焼きを食べたいと言えば、お寿司がいいよねと言う。お風呂もパパが最後に入る。パパが自分で選べるのは自家用車の車種と色だけ。それでもこのお家はまだマシなほうで、車種も色も奥さんや子供が決めるお宅もある。
 
 夜帰宅しても、当然の事ながら居場所はない。だから帰宅は深夜に及ぶ。家族と共に過ごす時間は激減し、休日も仕事場で過ごす時間が増える。深夜はすでに奥さんが鼻提灯をふくらませている事も多いから、自然とアレからも遠ざかっていく。どうかしたら、異性の部下と休日を過ごす時間が増えてくる。かくして、我が家は「近くて遠いマイホーム」となるのである。
 
 私は毎日自分でコーヒーを入れる。もう30年以上続く習慣である。入れ立てのコーヒーは香りも味も申し分なく、他ではちっとやそっとでお目にかかれないと自負している。豆の種類、ブレンドの仕方は紆余曲折を経て、現在は2種類のブルーマウンテンを6対4の割合でミックスしている。
 
 よせばいいのに、コーヒーを魔法瓶(古い表現ですナ)に入れて家庭内ホームレス氏の仕事先まで持参する。入れ立てではないので、多少味が落ちてはいるが、氏にしてみれば味より気持が嬉しいのだ。コーヒーの香りと味は気品と友好を示している。氏は極めつけの情愛の人である。家族に対してもそれ以外の人に対しても‥。
 
 気品と友好、情愛がブレンドされたコーヒーはさぞうまかろう。二人とも何も言わない。家庭内ホームレス経験のない私が、経験者の氏にコーヒーを届けるだけの事である。そんなささやかなコーヒーブレークで一息つくだけの話である。
 
                      (未完)
  
更新日時:
2002/07/07
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