31      人のこころ
 
 またか、そう思ったことがこの1年あまりで何回あったことであろうか。外務省は害務省だと書いた。それには何ら間違いのあるわけのものではなく、私たち国民の常識からも、あるいは、ごく普通の心情から判断しても害務省であると思う。
 
 国民を愚弄するのが彼らの商売である、そう言い切るのは間違いだと思う方がいれば、一言掲示板に反対意見とその理由を書いていただければ幸いである。国家機密でもない事を彼らは意図的に隠す。彼らにどんな恣意が存在するのかは説明しない。説明の要はないということなのであろうが、なに、説明したくてもできないのである。
 
 よらしむべし、しらしむべからずという愚にもつかないお題目の信奉者ゆえに、頭から国民には知らせなくともよいと決めつけているのだろう。彼らには数学Tや数学Uの因数分解、数列、ベクトル、三角関数、もしくは英語の関係代名詞、分詞構文は理解できても、人のこころは理解できない。
 
 それはそうだ、学校や塾では教えてくれない。では、家庭で教えなかったのか、どうも受験勉強に忙しくて教わらなかったようである。遅きに失した感はあるが、今年から外務省キャリアには2年間「人のこころT」と「人のこころU」を修得するよう義務づけ、さらなる2年間に「国民奉仕への主体性T〜V」と「情報公開のイロハ」を修得させるとよい。
 
 米国や英国の歴史ある名門大学に国費、つまり税金で留学させるのはその後のことである。人のこころT〜Uを修得できたか否かは、介護老人ホームでの6ヶ月間の研修を修了後、老人の家族代表数名に判断してもらう。
不合格の者は何度でも機会を与え、合格するまで研修を繰り返す。この国の大切な外交を委ねるのだ、それくらいはむしろ当然である。
 
 キャリア官僚が人のこころをいちいち斟酌するようでは、迅速、的確な外交に齟齬をきたす、そう君たちは考えているだろう。難関を突破し選び抜かれたのだし、頭の切れと回転もズバ抜けていると自負しているだろう。私はそういう傲慢な男女を何人もみてきた。近年、知能指数より心の指数が重要視されていることも君たちは遠に知っているだろう。
 
 しかし、知っていることと実践できることとは別のことである。国家公務員の第一義とは国民および国家への奉仕である。そんな事を君たちに言えば、あざとい目つきで百も承知という顔をするだろうが、君たちが奉仕しているのは国家という名の抽象に対してだけである。国民と時代への対応は百年遅れているのではなかろうか。 
 
 人が何を考え、何を求め、何が不満で何を訴えたいのか。刻々と変化する時代への対応というなら、そういう人間のありようと心の推移を認識し、理解していなければなるまい。国民は国家機密に関する情報公開を求めているわけではない。人の気持ち、人のこころを分かってほしいと言いたいだけなのである。あまりにも君たちが分かっていなさすぎるから。
 
 エリートの時代は終わったのである。エリート万能という錯覚の時代は終焉したのである。時代はすでに外交官に対して、外交のエキスパートのみならず、こころのエキスパートたらんことを欲しているのである。
 
 
更新日時:
2002/09/21
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