27      寝耳に水
 
 寝耳に水、そういうことばがピタリと決まる驚きとよろこびであった。田中耕一さんのノーベル化学賞受賞は二重三重の意味で朗報である。北朝鮮政府の拉致問題で、ご家族の憤りとやりきれなさを共有していた私たちは、ある種の閉塞感に陥っていた。あんなデタラメな将軍様が国家と国民を牛耳っているところと国交正常化を進めてもいいの?そんな疑念が頭の中をぐるぐる回り、悪性の自家中毒にかかったような気分だった。
 
 それとまたノーベル賞なるものは、平和賞と文学賞をのぞけば象牙の塔にこもっている博士や教授への最高の勲章で、そのかぎりにおいて、私たちとはまったく隔絶された世界の住人に付与される最大のおみやげであった。それが今回は、象牙の塔でもなければ博士でもない、いわばごく普通の学士さんに対しての授与である。
 
 田中さんはサラリーマンだ。そして、風貌、語り口、話の内容、身につけているもの、すべてこれ普通。あまりにも普通すぎるのが変人なのかもしれない…そういう冗談が巷で囁かれるくらい庶民に身近な存在である。東北大学在籍中、1年留年経験のある田中さんはエリートなのだがエリートを感じさせない。ノーベル賞の権威を考えれば、女子高生流にウソ〜ぉ!となるだろう。もはや昔流のエリートの時代は終焉を告げた、そうでなければ今世紀の展望は開けまい。
 
 スウェーデン王立科学アカデミーは過去の権威・伝統と訣別し、門戸を大きく開いた。こんな事は今回だけであるなどと考える人もいるやもしれない、しかし、それは大きな間違いである。ことはノーベル賞だけではない、時代は着実に様変わりしつつあるのだ。
 
 ところで田中さん、12月10日のストックホルムに着ていくものはあるのだろうか、上から下まで新調するのだろうか、バカな事を云う私もどうかしていると思うが、そんな事をふと考えてしまうほど田中さんは普通で身近な方なのである。
 
 
    
更新日時:
2002/10/11
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