25      常識という話
 
 昨日クアラルンプールで日朝国交正常化交渉がスタートした。今日現在の交渉の行方はテレビ・新聞が伝えているので、わざわざここで書くこともないし、今後の行方を見定めてからゆっくり書けばよい話なのかもしれないが、考えてもみたまえ、いったん誘拐された子をまた誘拐犯の所へ帰すバカがいるだろうか、いたら会わせてもらいたい。
 
 北朝鮮政府が行った拉致は国家犯罪である。彼らが拉致を認めた以上、24年前に遡って原状回復するのは当然の事で、蓮池さん、地村さん、曽我さんが日本に留まるのも当然なら、三家族の子供たちが日本に来るのもまた至極当たり前の事である。
 
 北朝鮮政府が日朝の今後のことを思案するなら、お子さんたちを速やかに日本に戻すだけでは足りない、拉致犯の雁首そろえて日本に差し出すべきではあるまいか。それが彼らの云う誠意ではないだろうか。約束違反とは何事、盗人猛々しいとはこのことである、バカも休み休みに言いたまえ。
 
 向こうが信頼関係、信義則を云々するのであれば、第一懸案事項である拉致問題の決着がついて初めて交渉のテーブルにつくのが常識というものであり、信頼関係はそれから築かれる問題であろう。これを書いていたら、いまテレビのニュース速報で、日朝国交正常化交渉は11月末に先送りされるというテロップが入った。
 
 地村保志さんは、お子さんを日本に呼び寄せる意思をお父さんの保さんに伝えた。「向こうの感情を害するようなことはせず、お互い了解するということで子供の返還をお願いしたい、穏便に解決してほしい」というのが保志さんの意向である。全くもっともな話だ。
 
 交渉がもつれてくると、必ずといっていいほど知ったかぶりというか、わけ知り顔でモノをいう輩が出てくる。曰く相手のあることだからとか、交渉事は焦ってはいけませんとか。とんでもない、そんなことを言うから弱腰外交と諸外国から甘くみられるのである。
 
 毅然として言うべきことは言う。相手が突っぱねても動揺しない、怒らない、あわてない、平常心でひたすらご家族のために事に当たる。それが外交の本筋である。クアラルンプールで決着をみなければ、シンガポールでも北京でも、どこへなりと粛々と出向けばよい。
 
 蓮池さんほか日本におられる親御さんは毎日薄氷を踏む思いでお待ちのことと思うが、小泉さんの断固たる決定をどこかで支持されているのではないかと思う。子供を人質同然にされてはたまったものではない。向こうのやり方は一番よくご存知のはずである。
 
 口はばったい物言いかもしれないが、帰国された方々、死亡されたとなっている方々のご家族と私たちは何かを共有してきたように思う。デタラメな将軍さまの政府を相手に強硬論を言い張っているのではない、常識を述べているにすぎないのである、常識を…。今後の行方に注目したい。
 
     (2002年10月30日午後8時29分脱稿)
更新日時:
2002/10/30
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