24      毒を以て‥
 
 映画の世界では、特にアメリカ映画界でアクションものの常套、紋切り型として制作されることの多いのが、刑務所に服役している凶悪犯をつかって悪を退治するという手法である。
 
 曰く「毒を以て毒を制する」。モスクワの劇場でプーチン大統領が選択したのもこれである。テロ集団に対して毒ガスをもって対抗する。その結果、大勢の市民が巻き添えになっても予断の範囲内ゆえ是認される。こういう事例は枚挙にいとまがない。アフガンにおけるアルカイダ撲滅、あるいはタリバン制圧のための米国によるミサイル攻撃など。
 
 毒を以て毒を制するという手法を正当化するのは、かつては一国の政府、または権力者であった。いま、それは世論である。昨日の米国中間選挙において共和党が(上下両院で)過半数を得たのは、米国内の世論の趨勢である。メディアは歴史的勝利などと紙面を飾るが、なに、こういう物騒な時代ならそれが相場というものである。
 
 昨年の同時多発テロ以来、ブッシュ政権のアキレス腱は経済政策のみといっても過言ではない。対イラク政策は、世論の趨勢が強硬路線で概ね同調している。「やったらやりかえせ」が、「やられる前にやっつけろ」に転化したのだろう。サダム・フセインへの先制攻撃は上等な作戦ということなのであろう。毒に対しての毒は効果的に使用せねばならない、事はそういう次第なのである。
 
 平和主義、人道主義の立ち入る隙間は殆ど介在しない。人道などと言おうものなら、きれいごとをいう奴、さらには非国民の誹(そし)りを免れかねない、かの地においては。私は単に体力差、温度差の問題であると思うのだが、何にせよ人道的立場をかこつ者は居心地が悪く、肩身の狭い思いをしている。
 
 抗ガン剤の多くは重大な副作用を伴う。しかし初期のガンなら、抗ガン剤の使用方法さえ間違わねば救われる命もあるだろう。毒には毒を盛ることで解決する場合もないわけではない。ただ、「毒を以て毒を制する」という非常手段が一般化して、当然のごとく政策に盛り込まれるのはどうかと思う。
 
 市民を極力犠牲にしない選択肢を一考してもらいたいものである。こういう意見を述べても国賊といわれない場所で。
 
 
更新日時:
2002/11/07
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