22      加藤周一
 
 今夜TBSのニュース番組に加藤周一が出演する。アンカーマンが気にくわない…彼はゲストの話に「はぁはぁ」と気のない相槌を打つだけで、相手に斬り込む意志が稀薄。ジャーナリストとしての姿勢に気迫を欠く…ので私はほとんどみないが、加藤周一が民放に出る気になったのは時代の趨勢と、このアンカーマンがかつて「朝日ジャーナル」の編集長であった頃、加藤は「日本文学史序説」を同誌に連載していたから、その経緯もあろう。
 
 加藤周一がテレビに出るのは、20世紀最後の2000年3月27日〜30日・四夜連続のNHK教育テレビ「歴史としての20世紀を語る」以来ではなかろうか。あれは確かETV特集であったと記憶している。当時80歳の加藤が自宅とおぼしき場所の一室で談話し、私鉄沿線の歩道や駅のホーム、電車内、東大赤門などを散策する映像も放映されたと思う。
 
 散策中の加藤の様子も、最初語り始めた時の顔つきも老人のそれであったが、番組が二回目に入った頃、老人は青年に変化していた。加藤周一の名著「羊の歌」、「続・羊の歌」(岩波新書)を読んだのは私がまだ東京で学生をしていた21歳の時であったが、今読んでも面白い。勿論面白さの内容は当時と異なるが。
 
 故・堀田善衞と並び現代日本最高の叡知と呼ぶにふさわしい加藤周一と堀田善衞との「ヨーロッパ・二つの窓」(1986年12月リブロポート刊)は、写真家・田沼武能の美しい画像がふんだんに添付された座談集である。
 
 「中世のプレザンス」という項で加藤は次のように述べている。
 
 「京都でさえ、町の中を歩いていて、のべつ中世にぶつかるというわけじゃないものね。だけどヨーロッパの町というのは、停車場に行こうと思えば途中は中世だもの。それはすごいプレザンスだよ。教会に限らず、中世の建物が町の中に残っているでしょう。」
 
 また、前述した「歴史としての20世紀を語る」でこういう事を言っていた。
 
 「戦争中にウィーンでナチズムが蔓延した時期があったけれど、戦後ナチズムの信奉者は全員どこかに移住したわけではなく、今も市内に普通のやさしい顔をして住んでいる。隣のおじさん、おじいさんがそうかもしれない。戦中に南京で中国人をおおぜい虐殺した日本人も突然どこかへ消えたわけではない。あなたたちの隣人、普通に生活している善人がその人たちなのかもしれない。」
 
 上と下のことは全く違う別のことである。しかしながら両者に共通することがある。それは、現代と中世が何の不自然さもなく「溶け込んでいる」ということであり、過去にあやまちを犯した人も普段はごく普通の人であって、今も隣人に「溶け込み」、何事もなかったかのように普通の生活を送っているということだ。加藤周一の歴史認識を示唆する例である。
 
 24年ほど前の晩秋の午後、京都・詩仙堂の庭で加藤周一と偶然出会った。加藤氏に気付いた私に対して、心なしかはにかんだ表情をみせた氏の目に知性の閃きを強く感じたのが昨日のことのようである。
 
更新日時:
2002/12/04
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