21      自分らしさ
 
 今月は表題の「自分らしさ」を考える事例が幾つかあった。そのひとつ、道路公団民営化問題は7人の委員の内の今井敬氏と猪瀬直樹氏、石原伸晃行革担当大臣などの過去と現在の発言で多くのことが思い出され、様々なことを考えさせられるよすがとなった。
 
 高速道路が配備されていない県にとって、大都市と地方都市を直結する高速道は、喉から手が出るほど欲しい公共事業であろう。もっとも、この県というのは県民をさすのではなく、県庁あるいは県知事のことである。
 
 周知のごとく高速道路の予算は国が負担する。県が自腹を切らずに立派な高速道ができるのなら、みなこぞって誘致に執心するわけで、後々の維持営繕費も国の負担とあっては、感謝感激雨霰(あめあられ)だろう。
 
 無論、ことはそれのみにとどまらない。この不況を何とかしなければならない、しかし何とかする特効薬、カンフル剤はおいそれとは見つからない、都道府県すべて潤沢な予算があるわけのものではなく、まして過疎地域を多く有する北海道、東北、山陰、南九州などは国からの交付税をあてにせねばやっていけない。
 
 札幌市にしばらく住んでいた時期がある。舞鶴から新日本海フェリーで小樽まで、自己所有の神戸ナンバー車を持参した。車は主に関西方面からの顧客の観光用に使用した。全道をくまなく走った。道央自動車道(高速道路)で当時の千歳空港と札幌の往復も数え切れないほどした。
 
 札幌から道東や道北に行く時も、旭川まで道央自動車道を幾度となく利用した。石原伸晃氏は道央自動車道について、「熊やキタキツネが通る」というような発言をしたことがあるが、あれは決して誇張ではない。札幌で懇意にしていた個人タクシーの運転手Kさんも、その仲間も、紋別市の長距離トラックのドライバーや市会議員も、異口同音に同じ意味のことをいっていた。
 
 石原氏はユーモアのつもりで熊やキツネがと言ったのである。それを逆手に取って難癖をつけたのが鈴木宗男氏だ。現地の交通事情を熟知する者はみな呆れた。またムネオが‥些細な事にくだくだ文句を言っている、あれは一種のイジメ(石原氏への)じゃないか。
 
 それぞれの発言は自分らしさの発露であってみれば、石原氏もムネオ氏も、はしなくも自らの意思がしたたり落ちたのである。政治的意図が脳裏にあったとしても、つまるところそれも自分らしさといえよう。
 
 昨日(12月11日)、和歌山地裁でカレー事件の判決が下りた。カレー鍋に砒素を混入したとされる被告は、そのほかにも何件かの保険金目当ての殺人未遂罪で起訴されている。保険会社外交員であった被告は、多額の現金を得ることで極楽を招来しようと目論んだのかもしれない。
 
 「エッセイU」の「地獄と極楽」で述べたので重複は避けるが、被告は知らず知らずの内に運命の階段を下っていったのだと思う。楽をして極楽世界に住むつもりが、ふと気づいたら地獄にいた、事はそういう話である。
 
 被告にあっては、保険金目当てで犯行を繰り返していた頃が自分らしさを保っていた時期ではないだろうか。カレー鍋に砒素を入れたであろう時、被告は全く自分らしくなかったはずである。検察側のいう動機が解明されにくいのも実はその点にあると思われる。
 
 自分らしさを完全に喪失していたということによって起こったのであれば、被告にとっては痛恨の極みに相違ない。一切の現金は取得できず、当日の朝までは考えてもみなかった犠牲者が出た。この事件は本来の自分が起こしたものではない、それまでの自分は、自分らしさは何処へ行ったのか、そういう思いが被告にこびりついて黙秘を続けているのではあるまいか。
 
 被告側が控訴し、高裁で審議され、さらに最高裁へ上告ということになれば、裁判が結審するまで相当年数かかる。被告の自分らしさの喪失感はすでに濾過されて、被告の心の中で犯行そのものが真水のような透明感を持つにいたっているのかもしれない…しかし、どうみても被告の姿は泥水以外の何ものでもないが…ともあれ黙秘はさらに続きそうだ。
 
 
更新日時:
2002/12/15
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