18      新之助のステッキ
 
 2月21日、京都南座で『おはなしと対談の夕べ』が催された。3月3日の「源氏物語」初日に先立って、光源氏役の市川新之助と脚本の瀬戸内寂聴さんとが贔屓のために一役買って出たというわけである。
 
 入場できるのはハガキによる一般公募から抽選で選ばれた800名と、主催者側(松竹)が招待した数百名(?)だが、寂聴さんの言によると応募者の数は1万2千名に達したそうで、「この場にいる方は幸運な方ですね。きょうは快晴のとてもいいお天気でよかったですね。わたくしは晴れ女なんですよ。」という寂聴さんの挨拶からはじまって、「新之助源氏」と題したご自身の講演が40分ほど、寂庵から飛んできた噺家の風情は客席へのサービス。
 
 第二部の対談『野性と雅』で観客の殆どがお目当ての新之助登場。この人、ふだんから寡黙なのか、あるいは、何をしゃべっていいかを黙考しているのか、それとも愛想が悪いのか、キザなのか、単に朴訥なだけなのか、なににせよ美男は得、欠点はあっさり許され美徳にかわる。
 
 寂聴さんが布に包んだ細長いものを出して、これはわたくしからのプレゼントと新之助に手渡した。布のなかから出てきたのは木製のステッキ、新之助がキョトンとして戸惑った様子であったせいか、寂聴さんフォローする。「チャップリンというお店で買ったんですがね、わたくしも買いました、でも、あなたにプレゼントした方が上等なんですよ。」
 
 新之助いわく、「先生、これ、どうやって使うのでしょうか?」。…ここからがご愛嬌。寂聴さんのたまわく、「いいえね、客席にチャップリンの奥さんがお見えなの」。チャップリンの女主人の飛び入りがあって、舞台上で数分ステッキのさまになる持ち方に関するあれこれ。ダンディな男性はステッキを持つんですヨなどと言っていたが、そりゃ本当ですか、ステッキがさまになるのにも相当時間がかかりましょう、新之助は当惑していたもの。
 
 まあ、チャップリンの女主人は座持ちをよくするための飛び入りであったように思うが、私は別の事を思った。ただの杖を寂聴さんが新之助に贈るわけのものでもあるまい、高齢者はそれなりの老獪な意図を心中に隠し持つ。若さは知っていることを殆ど表に出すが、老いるとわざと表に出さず隠す。日本の伝統、隠し味。
 
 若さは遮二無二、がむしゃら、行動の量は考える量を遙かに凌ぐ。両者は徐々に近づきその差がなくなり、そうこうするうちに考える量が飛躍的に増加し、考えることのごくわずかな部分しか行動にあらわさなくなる、それが老いというものであってみれば、老いは表面にあらわれない言葉の海を心中に隠し持っているのである。
 
 寂聴さんが新之助に贈ったステッキは示唆に富んでいる。スフィンクスはそばを通る旅人に、「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足の動物は何か」と問い、正解しなかった者を殺したという話がある。作家は日常口に出さなかった膨大な言葉を綴るのを生業(なりわい)とする。日常あらわしたことより、あらわさなかったことのほうが遙かに豊饒なのである。
 
 芝居も人生も、いつまでも若いままでいれればそれもよかろう、若さが遮二無二一人歩きするのも一興である、だがそういうわけにはいくまい、芝居も人生も。武蔵も日観(長門勇)や石舟斎(藤田まこと)、あるいは沢庵(渡瀬恒彦)のような共演者の存在があってこそ支えられ、輝きを増す。三本目の足は年老いたときの杖をいうが、新之助にもステッキが必要なこともあるだ。
 
   
更新日時:
2003/03/09
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