16      疑心暗鬼
 
 人と人が争いをおこすと必ず双方が陥る暗黒の領域があって、いったんここに入り込むと、よほどのことでもないと抜け出すことのできない暗闇である。
憶測でものを云うのは誰しも経験するが、疑心暗鬼に取り憑かれると、単なる流言飛語にさえ惑わされたり振り回されたりする。
 
 平和で安穏な日々を送っている人々には縁のない疑心暗鬼が心に棲むと、朝晩の区別なく百鬼が夜行する。安穏に身をゆだねることのできる幸福な人々には白河夜船の話であるが。
 
 近年、米国の新・保守主義またはネオ・保守主義と呼ばる極右勢力の台頭が著しく、ホワイト・ハウスを席巻したかの様相を呈している。巷間伝えられるところによると、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官などがそれに該当し、彼らは筋金入りの主戦論者であり、穏健派のパウエル国務長官の意見にまったく耳を貸さずイラク戦争を主張し、その旨ブッシュに進言したという。
 
 疑心暗鬼と懐疑主義とは似て非なるもので、懐疑主義とはある事を固く信じられるから、ほかの事を疑えるのである。疑心暗鬼は信ずるに足る強固なものもなく闇雲に疑う。いや、そう断言するのは正確さを欠くのかもしれない。彼らは自分自身を頑なに信じている、したがって自らの姿が見えないのだ。
 
 2001年の9月11日が米国の方向を変えてしまったという論調もあるが、米国政府の中枢に巣くう一極主義、すなわち、米国(の武力と経済力)が地球に安寧と平和をもたらすというある種の独善主義が、9月11日を契機にいきなり地からわいてきたとは到底思われない。もともとそれは存在した。その独善主義こそが米国の世界戦略の根幹をなしていたのではなかったのか。
 
 アラブ人は平気でウソをつく。ウソをつくことはかれらにとって何らやましいことでもなく、ましてやウソが美徳の欠如と同義語であるといった認識もなく、ありていに云うと、日常的に虚言癖があるといっても言い過ぎではないほど、ウソに対して罪の意識は稀薄である。
しかし、これはアラブの特質でもなんでもなく、この国の某党の代議士さんも、ウソを言っている間は逮捕されないが、本当の事を言った途端に手がうしろに回ると冗談まじりに言うくらいのもので、生来の虚言癖をもたぬ人も、立場上必要とあれば平気でウソをつく。
 
 サダム・フセインはウソつきである、そんなことは先刻承知のことであり、同時に君たちも度々ウソをおつきになるではないか、ウソといって語弊があるなら、虚偽の弁明をしてその場を取り繕うとするではないか。
 
 9月11日、米国本土は南北戦争以来の汚辱にまみれ、そのため疑心暗鬼のかたまりとなり‥という筋書きを簡単に信じるわけにはいかない。百歩譲って、たとえ事の顛末の半分がその通りであったとしても、国際社会のおおかたの意向を無視して、武力行使を正当化するには無理がある。
 
 ここで繰り返すのも業腹だが、かつての味方‥ホメイニのイスラム革命時、米国はサダム・フセインのイラクと蜜月中で、イラン=イラク戦争のときはイラクを支援、武器を提供していた‥であり、いわば米国政府の愛人とでもいうべき立場であったサダム・フセインがアルカイダなどの国際テロ組織を支援している(との疑念)というCIA情報と、化学兵器などの大量破壊兵器の製造(との疑念)という理由でリスキーな戦争を仕掛ける必要があったのだろうか。
 
 それがあったのである、だからイラク戦争が勃発した。私はこの戦争をホワイト・ハウスのタカ派とサダム・フセイン一派の疑心暗鬼が起こした戦争であると思っている。そして、疑心暗鬼はおいそれとおさまるものではなく、戦争中も、戦争終結後も続くと思っている。
戦争終結後の疑心暗鬼は、米国やイラク、イラク内のイスラム教・シーア派勢力にとどまらず、クルド民族、トルコ、周辺アラブ諸国、EU、ロシアほかにも今まで以上に蔓延するとおそれている。しかし例によって大国は、持ち前の虚言癖で政治的難局を切り抜け、人々は自分の生活に無関係ゆえ忘れるか、忘れたふりをして時は過ぎて行くのかもしれないが。
  
更新日時:
2003/03/27
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