14      二村 伸
 
 NHKベルリン支局長・二村伸がアンマンから陸路バグダッドにきょう入った。本来なら昨夜バグダッド入りしていたはずなのであるが、バグダッドの手前で警備の米軍に足止めを喰らわされた。
夜バグダッドの町に入るのはきわめて危険という米軍の判断があったからである。たしかに危険である、市民による略奪が横行し、聖戦の信奉者は市内に依然としてひそんでおり、町中は無政府状態どころか百鬼夜行状態なのだ。
 
 二村はアンマンで刻々と変化するイラク戦争の模様をレポートしていた。バグダッドに滞在するアラブ人の現地スタッフと電話とパソコンで連絡を交わしながら。バグダッドからの電話に応対する二村、パソコンを使っている二村をNHKのテレビニュースで目にした方もおられよう。
 
 はっきり言えるのは、アンマンにいる二村伸とバグダッド入りした二村伸とでは顔のつくりがまったく違うということである。以前も記した(アフガンのタリバン追討戦)のだが、戦場、前線にいる二村とそれ以外の土地にいる二村とでは顔の締まり方が異なる。
 
 前線にいる二村は緊張感にみち、表情も声も凛然として、いかにもそこが戦場なのだとわれわれに感じさせるものがある。以前の繰り返しになるが、二村伸ほど戦場の似合う報道人は少ない。
そう言いながら私は内心心配している。アフガンの時もそうだったし、古くはコソボ、湾岸戦争の時もそうだった、二村伸がテレビに出たら思うのである、よかった!、彼はまだ生きていた!
 
 こういうとなんだが、二村のどこかに自分と同質なものを見るから気になるのかもしれない。よくいうとまっすぐ、がむしゃら、そういう何かを二村に感じるのである。二村と自分の相違点は、彼は長年の前線経験からある程度危険を察知する能力を高めてきたこと、私にはそうしたものの持ち合わせのないことだ。
 
 戦場に出た者が時々思うことがあるという。戦場で生き残る可能性の高いのは、勇敢な者より臆病な者であると。臆病な人間はその分慎重になるという。慎重さが命を長らえる元となるという。ただがむしゃらでまっすぐなだけでは、戦場で生き残る確率は低いのである。
 
 きょうもまた二村を見て思うのだ、やれやれよかった、まだ生きていると。
 
更新日時:
2003/04/11
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