8   2001年9月松竹座 「新・三国志Uー孔明篇」
更新日時:
2001/09/21 
 猿之助のスーパー歌舞伎は、本人の言によると3Sがそろって面白いのだそうである。3Sとはスピード、スペクタクル、ストーリーであるという。
 
 たしかにその3つがそろうと面白いし、時間が瞬く間に過ぎていく。息つく暇もない展開と、メリハリの効いた演出とによって猿之助一座の公演はいつも大入り満員。
 
 しかし、今回は第一幕の孔明(猿之助)と彼の幻の恋人(笑也)との別れの場からして唐突。男女の情愛を示す前置きがなく盛り上がりに欠ける。また、京劇の振りと立ち回りが目白押しで、バック転の連続、まことに忙しく目が回る。
 
 活劇は動きが早いというだけでは成功しない。動きにキレがあって、しかも無駄のない動きでなければ見た目に美しく映らない。せっかくの早い動きも効果なしなのである。無駄な動きが少なければ少ないほど動作は美しく見える。これは所作事の鉄則である。舞踊はその典型、無駄な動きが踊りをまずくする。
 
 往々にして若さや未熟さが無駄な動きを助長する。若さが無駄を分からなくするのだ。余生の長さと関係があるのかもしれない。所作事は、自分のための無駄はせず、人のための無駄をするという姿勢が肝要であるように思う。
 
 さて、第二幕は慌ただしかった第一幕から一転、ようやく落ち着いた展開となる。歌六の演技は情があって上出来。亀治郎は「新・三国志ー関羽篇」に続き本水シーンである。ここでの動きは見事。歌六も滝のような本水に打たれるが、さすがに萬屋・元締めの芸は健在、怒濤の水が生きる芸である。
 
 第二幕での「夢こそがわれらに力を与えてくれた」という猿之助のせりふで、脚本の醍醐味が出た。「夢みることが、夢をみつづけることが人に力を与えうる」というのは、猿之助生涯のテーマである。
 
 第三幕。第一幕と第二幕はここに至るまでのプレリュードである。門之助の演技が光る。滝乃屋は品の良さと古風さが身上、それが遺憾なく発揮されて気持ちがよかった。
 
 孔明の書庫を大道具が巧みに作っているが、歌舞伎の美術として最高の部類に入る出来であったと思う。「楼門五三桐」の楼門とは豪華さの比較では劣るが、古色蒼然たる趣、知的雰囲気、ある種のアカデミアという点では出色であろう。
 
 第三幕にふさわしいせりふ。たれが言ったか知らぬが、本当の恋とは、「相手を自分のものにしたいと願うことではなく、相手に心のまことを捧げること」であるという。かくして恋は成就すべきものであるのかもしれない。
 
 しかしながら、別れはいつもかなしい。夢みる力も、別離のかなしさの前ではかげをひそめるのである。
 


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