7   2001年10月南座 「木下蔭真砂白浪」
更新日時:
2001/10/25 
 
 「このしたかげまさごのしらなみ」と読む。寛政元年(1789)10月大坂・角座で上演された「絵本太閤記」の世界に、石川五右衛門の半生を描いた「木下蔭狭間合戦」(このしたかげはざまがっせん)を絡めて作られた通し狂言である。
 
 ほとんどが「木下蔭狭間合戦」をベースにしているので概容を言う。この狂言は全十段の長編浄瑠璃で、主役は友市のちの石川五右衛門と、猿之助(さるのすけ)のちの此下久吉である。ふたりは序幕で不思議な夢をみる。友市は日本中の金が懐に入る夢、猿之助は日本国を手に入れ、さらに高麗にまで足をのばす夢。ふたりのみた夢は、金を盗むのも国を盗むのもたいした変わりはないという皮肉がこめられている。
 
 石川五右衛門に橋之助、此下久吉に染五郎であるが、主役のふたりはさておき、蓮葉屋与六(はちすばやよろく)の翫雀がこの人の個性をいかんなく発揮し面白い。また、お峰の扇雀が仁にあっている。相変わらずせりふ回しはうまくないが、仁のよさがせりふをうまくみせる。お峰というのは女盗賊で、真女形では経験、研究ともに不足の扇雀ではあるが、男がかった女役を演るのはうまいものである。
 
 ただ、第一幕三場の出からやや気合い不足となる。この人は時々こういうことがある。すこしは親の気合いの入れ方を見習ってもらいたいものだと思うことしきり。母親の気合いはともかく、父親なら、幕が下りるまで気合いが舞台一杯に漲っているのだから。
 
 染五郎の久吉はひとつの挑戦。この役は受け役ゆえ、五右衛門役以上に肚がいる。せりふ回しではなく、はらで見せるのはやりがいはあろうが難しい。染五郎はいずれ10世幸四郎を継ぎ、仁木役をはらで演じなければならないさだめ。そういう意味では、いまから修業を積むのもよいだろう。
 
 五右衛門の橋之助は実悪が似合う。この人の古風な面相、柄がそういう役にむいているのである。この狂言の最大の眼目は「葛籠抜け(つづらぬけ)」。ケレンと言われても、宙を飛ぶ葛籠がパカンとふたつに割れて、中から葛籠を背負った五右衛門があらわれるのだから、面白くないはずがない。宙乗りの橋之助の口上がいい。曾じいさん、つまり五代目歌右衛門があこがれ、河内屋、つまり二代目延若が演ったこの役を自分がやっているのだ、爽快、そうかいと得意満面に言うのである。子供のように嬉しそうな顔が、贔屓ばかりか多くの客の歓心を買うのである。役者はこうでなければと思う。
 
 宙乗りといえば、翫雀もあざとい演出の宙乗りを見せる。いったん地面にまっさかさまに落ちていくのだが、途中木の枝に引っかかり一命をとりとめる。この場面が実にうまくつくられ、おおかたの観客の笑いをさそう。翫雀の体躯からは思いもよらない身の軽さとひょうきんさ。この人の将来の芸域の広さを想い嬉しかった。上方歌舞伎の正統「つっころばし」や「ぴんとこな」を鴈治郎や仁左衛門から継承するのはこの人をおいてほかにない。
 
 最後に大薩摩。「楼門五三桐」の名場面のそれである。南禅寺山門に上がった五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と言う前の勇壮な三味線と長唄。「それ緑林の〜」からの名調子。私はこれを聴くといつも血が騒ぐ。細棹(三味線)が奏でる名曲に酔う。誇張ではなく、ああ、生きててよかったと思う。そういう曲である。
 
 「楼門」の五右衛門には芸容の大きさがいる。橋之助はまだその域にはない。しかし、それはそれ、いずれ橋之助にもできてくるだろう、芸容の大きさが。
 
 終幕の冬景色に歌舞伎独特の造形美を感じたことを付記しておく。一幅の大きな立体的名画。望湖楼に音もなくしんしんと降る雪。大道具の面目躍如たるものがあり秀逸。だから歌舞伎はやめられない。
         


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