6   名優たちの死
更新日時:
2001/12/31 
 
 2001年の早春から盛夏にかけて、戦後の歌舞伎界を背負ってきた名優三人が亡くなった。沢村宗十郎はかつて歌舞伎から東映映画に行き、当時は沢村訥升という芸名で弟・沢村精四郎(きよしろう)と共に活躍した。弟とはいうまでもなく現・沢村藤十郎である。九代目宗十郎の面立ちは古風である。それゆえに時代物には欠かせない役者であった。この人が舞台に立つと、時代の香り、とりわけ江戸の匂いが舞台いっぱいに馥郁と立ち昇ったものである。
 
 歌右衛門については「歌舞伎評判記」の冒頭に記したが、戦後を代表する立女形(たておやま)である。演劇評論家・渡辺保の名著が数点あるので、そちらでじっくり堪能していただきたいと思う。
 
 十七代目市村羽左衛門はフグで亡くなった八世三津五郎同様、歌舞伎界の指南役で、戦前に活躍した梨園の大御所たちの話や教え、型などを克明に記憶していた。なんだ記憶かというなかれ、この記憶が後輩を育成する際にどれほど役に立っていたことか。伝統芸能にはそれが大切な要素なのである。勿論、自らが演じる際にも多くの先達から直接きいた話や、言い伝え(口伝)は大いに役立ったことであろう。この人の弁慶と「楼門五三桐」(さんもんごさんのきり)の五右衛門は忘れがたい。
 
 歌舞伎に私たちが求めるのは意味ではなくイメージである。観客を分からせる事より酔わせる事のほうが重要なのである。ここの所が分かっていない役者は、たとえテレビドラマやミュージカルなどのジャンルで成功を収めていても、歌舞伎役者として良い評価をうることはできない。
 
 そして歌舞伎役者に不可欠なのは色気と愛嬌である。あるいは壮絶と凛々しさ、気品である。そのすべてを兼ね備えた役者は、いまのところ欲目に見て鴈冶郎と仁左衛門だけではないだろうか。話はそれるが、菊五郎が浮気をしても問題視されず、現・三津五郎が浮気をしたら非難されるのはなぜか。三津五郎が役者として大成していないから、ではないだろう。
 
 歌舞伎の舞台で三津五郎の踊りを一度でも見たことのある方なら、あれだけの踊りの名手ゆえ大目に見ようという気にもなるが、歌舞伎を見たことのない婦女子で三津五郎の不倫を許せるのは、ご自分も不倫をしている人ばかりなり、ではあるまいか。
 
 菊五郎はいかにもふだんから浮気して、それを芸の肥しにしていますよ、という風情なのだが、三津五郎は一見クソ真面目な風を装っており、その実、頻繁な女出入りがあるという二面性が反感を買うのである。最初の奥さんと結婚した時、宝塚歌劇の大立者からの餞は、「坂東九十助(クソスケ)さんは、いきなりわれわれの名花をさらっていった」というジョークであった。
 
 歌舞伎は「何」を演るかではなく、「誰」が演るかで面白さが決まる。同じ狂言(演目)でも役者によって全く別物となってしまうからである。その差は天地の差である。今年は名優が三人死んだ。明治、大正、昭和と引き継がれた時代の匂いを舞台いっぱいに漂わせていた名優であった。人気や演技では彼らに勝る役者の輩出はあるかもしれない。だが、時代の馥郁たる香りをからだから発散する役者の輩出は望めないだろう。
 
 東京の十一代目団十郎、十七世勘三郎、八世幸四郎、二世松禄、七世梅幸、そして上記三人の役者たち、上方の二代目鴈冶郎、十三代目仁左衛門、三世延若が支えてきた戦後歌舞伎は終焉を遂げた。歌舞伎に終わりはないと思うが、こころ裏腹に歌舞伎の一時代は幕を閉じたという感慨が押し寄せてくる。
 
 昭和が終わったとき、連綿と続いた時代の継ぎ目が切れたような気がしてならなかったのだが、平成も14年目を迎えようとしているいま、鴈冶郎、仁左衛門は若手に時代の香りを伝えうるであろうか。勘九郎や新之助に時代の香りが放てるであろうか。時代の継ぎ目が切れて久しいこんにち、芸を伝えることの難しさ以上に、時代の芳香を伝えることの困難さを思わずにはおれない。それは歌舞伎にかぎったことではなく、伝統芸能すべてがもつ試練なのかもしれないが。
 
 
        


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