5   2002年1月松竹座昼の部
更新日時:
2002/01/19 
 
     「大津絵道成寺」
 
 大津絵物のひとつ。大津絵物とは、大津絵を題材とした所作事の総称で、絵の中の人物、動物がぬけ出して踊るという形が一般的である。また、大津絵というのは、琵琶湖畔の大津あたりで売られていた肉筆の風俗・風刺画のことをいう。
 
 「大津絵道成寺」は、長唄「京鹿子娘道成寺」を土台に、大津絵に描かれた人物、藤娘、鷹匠、座頭、船頭、鬼の五変化を早替りで踊る、目に艶やかでたのしい演目。今回は、主に河竹黙阿弥が作詞した「名大津画劇交張(なにおおつえりょうざのまぜはり)」を、藤間勘祖が構成した舞踊劇である。
 
 黙阿弥作で明治四年に初演された時は、清元・常磐津の掛け合いであったが、勘祖(現勘十郎の父。藤間紫の元・夫)が常磐津・長唄の掛け合いとして再構成した。常磐津の一巴太夫のほれぼれする喉、名調子は健在。
 
 鴈治郎の五変化なのだが、この人、坂田藤十郎襲名(2005年)が決まって以来、よほど健康管理に腐心しているのか、以前に較べて美的痩身となった。70歳とは思えぬ若々しさに、一体何を食べているのだろうと訊きたいほどである。
 
 今回はその若々しさに可愛さまで加わって、客席からいいようのないため息が洩れた。鴈治郎はいつもそうであるが、客の反応にすこぶる敏感である。踊りながらでも、一階席から三階席までの客の入り具合や、熱中の有無をくまなく伺っている。そして、ウソのような話だが、客のひとりひとりを見ている、完璧な目配りでそんな風に見えるのである。
 
 大津絵はだいたい藤娘の絵姿が多いのだが、娘道成寺とあるように、舞踊も長唄も京鹿子娘道成寺の色合いが濃い。
 
 例の「恋の手習い」からのクドキ、「誰に見しょとて紅かね付きょぞ、みんな主への心中立て〜」のくだりは、いつもながら艶っぽい。当時は女が男をくどいた。と言っても、くどかれる男は常に色男であり、酔狂な女といえども、色男以外はくどかなかったようである。女をくどいたのは、それ以外の男、といえばお分かりであろう。つまり、色男は女をくどく必要などなかったのである。
 
 さて、鴈治郎であるが、今回の艶っぽさに限らず、あの色艶は、様々な女の姿態を熟知していなければ表現できない類のそれである。踊りの型を型通りに踊っていては、とてものこと、あの芳醇で、匂い立つ色気は出てこない。ふとした仕草、瞬間にからだがくねるのである。女がからだをくねらせる時、くねらせ方のいろは、それを十分に実体験で知っている者だけが、あのような動きを出せるのだと思う。
 
 女の肉体の、事にあたって刻々と変化する微妙な動き=所作がそのまま踊りに反映されたのだと思った。鴈治郎は立役・女形の両方を兼ねる役者なのだが、その点では菊五郎同様、所作事=舞踊の色気を出すのがうまい。私は、女形の舞踊における色気がどのように表されるのか、あらためて学んだような気がした。
 
  舞台に上がり踊っていた役者は、豊満なからだから女の色気を発散させていたのである。
 
 
         「外郎売(ういろううり)」
 
  新之助、久方ぶりの松竹座お目見えである。新之助の成長ぶりを見たかった。揚幕からの出の前のせりふ、口跡が父・十二世団十郎によく似てきた。といっても、団十郎より良くとおる声で、せりふ回しも聞き取りやすい。しかしながら、いかんせん間が良くない。そして、せりふとせりふの継ぎ目がブツブツ切れるのもつや消し。せりふとせりふの継ぎ目が切れるので、客席に一瞬重苦しい空気が流れる。
 
 新之助の外郎売が、早口でまくし立てるくだりは、団十郎にはるか及ばない。団十郎はあの長ぜりふを実に力強く言う。ただ早口で言えばよいというものではなく、威風堂々の強さが欠けていては、客席はただ固唾を呑んで見守るほかない。オーラによる固唾ではない、せりふを間違えはしないかと、冷や冷やものの固唾なのである。
 
 あれでは、客との一体感も生まれようがなく、束の間、ひどく気まずい空気が生まれただけであった。客との一体感は、歌舞伎だけでなく、あらゆる生の舞台劇に不可欠な要素であり、それなくしては、客を酔わせることなど到底望むべくもない。舞台に立つ役者にとって大切なのは、客を分からせることではない。客を酔わせてこそ役者の本分をまっとうできるのである。
 
 新之助は、21世紀を担う歌舞伎役者の筆頭株である。それゆえ厳しい見方をされるのは宿命のようなもの、今後のさらなる精進を切に期待したい。父・団十郎も、いまの新之助の年齢の頃は、お世辞にもうまいとは言えなかった。
   
 
 


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