4   2002年2月松竹座昼の部「南総里見八犬伝」
更新日時:
2002/02/08 
 
 里見八犬伝という題名を耳にすると、必ず少年時代を思い出す。子供の頃、家のすぐ側に「近松」という映画館があり、映画好きの私は三本立て小人ひとり30円の入場料を支払って、当時全盛期であった東映時代劇を見たものである。
 
 正月向けオールスター勢揃いの「忠臣蔵」や「清水の次郎長」も面白いには面白かったが、そういった定番より、「まぼろし小僧」、「天兵童子(てんぺいどうじ)」、「笛吹童子」、「里見八犬伝」といった冒険物のほうが、少年の私を刺激・鼓舞したことはたしかである。
 
 上記4作品のうち、笛吹童子を除く3作品の主役は伏見扇太郎(ふしみせんたろう)という美青年で、女形ぽ役もよくこなした。里見八犬伝は1959年の作品であるが、まぼろし小僧も天兵童子も1955年に上映された。あれから47年も経つのかと思うと、懐かしさもさることながら、経世の念がどっと押し寄せてくる。
 
 その当時の東映時代劇をひなびた映画館でご覧になった方はご存じかと思うが、館内の3点セットというのがあって、ラムネ、酢昆布、アイスクリーム(人によってはスルメ)の3点。今なお残っているのはアイスクリームだけで、懐かしの酢昆布、ラムネは何処に行ったのだろうか。
 
 酢昆布もスルメも独特のにおいがしたけれど、なに、みな映画を見るのに夢中で、そんなことは誰も気にはしなかった。古き良き時代の話である。
 
 冒頭に30円を支払って東映時代劇を見たと書いたが、そうこうする内に、「近松」の守衛の子と懇意になり、彼らの住まいが近松のスクリーンの裏の6畳一間であった関係もあって、裏からただ(無料)で入らせてもらえるようになった。スクリーンの裏から、そのまま舞台踊り場に出て、そこでスクリーンを見上げ、首をだるくしながら見るのである。それが原因で私は肩凝りになったのかもしれない。
 
 映画の里見八犬伝では犬塚信乃(しの)役は伏見扇太郎で、犬塚信乃は男なのに女として育ち、お家再興のため男に戻るという役柄である。伏見扇太郎の美少女ぶりは、今日のアイドルなど遠く及ぶものではなく、東映全盛時代のエポックメーカー的存在であった。
 
 今回の歌舞伎では、笑也が犬塚信乃。較べるのもどうかしていると自分でも思うが、舞台から目も心も離れてしまい、居眠りしそうになった。滝沢馬琴の名作を生かすも殺すも役者の腕であろう。やはり笑也はおとなしい姫役が仁である。
 
 物語は15世紀の半ば、安房・上総(いまの千葉県)の国主・里見氏の興亡と再興をめぐる、里見家忠臣・八剣士の苦難と冒険・活劇ストーリーである。八剣士は、「仁義礼智忠信孝悌」の八文字がそれぞれに記された玉をひとつづつ持っている。彼らの姓に共通するのは犬という一字。紆余曲折を経て彼ら八剣士は、一致協力しお家再興に全力を尽くす。
 
 今回の猿之助歌舞伎は、段四郎が病気のため出れなかったので、肝心な所でいまひとつ緊張感が不足していた。見ている途中で、あぁ、食い足りないなと何度も感じた。そのぶん歌六が頑張っていたのだが、やはり若手中心の歌舞伎はつまらない。ただ、猿弥と笑三郎だけはうまくなっていた(猿弥はもともとうまかったが)。以前は、笑三郎の女形の発声とせりふ回しに難があったが、だんだんとそれが取れてきて、手のうちに入れてきたように思った。
 
 猿之助が登場するまでは、つまらなかったが(登場まで1時間ほど経過)、さすがに御大が登場した途端、舞台がピリッとしまり、一度に華やいだ雰囲気となった。役者はかくあるべきであろう。
 
 猿之助の空中でのつづら抜けは見事、アッという間の早業。ケレンと言われようが、邪道と思われようが、猿之助歌舞伎が多くの人に支持されるのは、彼のチャレンジ精神、サービス精神の賜物なのだから。そして、宙乗りの猿之助の顔は常に神々しい。歌舞伎の最上席は、1階中央の最前列から7,8番目であるが、猿之助の宙乗りにかぎって言えば、3階中央の前が特等席である。


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