2   2002年7月松竹座夜の部「堀川波の鼓」
更新日時:
2002/09/16 
 
 江戸時代(宝永3年夏)、京都・堀川下立売で因幡(鳥取)藩士大蔵彦八郎が妹くら、妻の妹ふうと敵・宮井伝右衛門を討った。伝右衛門は彦八郎の妻の姦通の相手である。この実話を元に近松門左衛門がシナリオを書いた姦通劇であるが、初演後ほとんど上演されず、戦後復活された。
 
 小倉彦九郎(団十郎)の妻お種は、江戸詰の夫のいない留守宅を守ってる。美貌と豊満、女のこぼれ落ちるような色気がそなわっていれば、それだけでこの役の半分は成功である。お種役に鴈治郎、酔った女のしどけなさ、世話のこころで時代を演じる役柄にうってつけ。お種は淫乱ではない、むしろ身は堅い。それが酒の勢いと、ふとした錯綜ゆえに身を誤るのである。
 
 お種は末弟文六(愛之助)を養子にして、実家で鼓の師匠宮地源右衛門に稽古をつけさせていたが、お種がひとりになった事を見透かしたかのように隣家の磯部床右衛門(松助)が忍んで来る。彼はかねがねお種に懸想しており、主の留守をよいことに欲望を遂げようと思ったのである。
 
 磯部に言い寄られお種は拒み続けるが、磯部が刀をぬいたところでウソを言う。ここは実家ゆえ(人の目、耳がある)、明晩自宅へ来てくれと言うのだ。その場しのぎの真っ赤なウソなのだが、その会話を別室の源右衛門(翫雀)に聞かれ、あわてた彼女はなんとかその場をごまかそうと、源右衛門と酒を組み交わしている内に身を任せてしまう。
 
 この時盆が回り、舞台は土塀となる。それが人妻の色香の炸裂を助長しているかのようで効果的。そして、そこに至るまでの、人妻のこころとからだの動きと推移の表し方が鴈治郎ならではの巧みさ、現在に至る五十余年の女遊びが生かされているというと、月並みすぎる表現とご本人はお冠であろう。
 
 さて、この狂言の眼目はやはり夫婦愛である。武家にあって姦通は死罪ときまっていたから、夫は妻を切らねばならない。しかし、切りたくない。そういう懊悩は舞台で演じられるわけのものではないのだが、普通の人はみなおおよその察しはついている。ついていないのは夫の身内、というところに悲劇は着実に進行するのである。
 
 お種の妹お藤(菊之助)は姉夫婦の離別を画策すれがうまくいかない。離別してしまえば、義兄はお種を切らずにすむからである。離別こそが助命なのである。ここがこの場の見せ場。
 
 終幕の彦九郎の嘆きともみえるセリフが痛々しい。自分の身内がお種に対して容赦なかったことをなじるのであるが、身のやり場のない夫の気持ちがよく顕れている。義姉よ、義母よというなら、なぜ尼になれと請わなかったのか、と嘆息するのだ。その大詰のくだりを云う。
 
 「さほどまでにそちたちが、母よ姉よ嫂よと、大事に思うほどなれば、など先立って髪をおろさせ、せめて尼の姿にしても、など命乞いをしてくれなんだぞ!」
 
 お種役の鴈治郎の巧みさ、彦九郎の妹おゆら役の秀太郎の手堅さでしまった舞台になった。


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