16   2001年4月松竹座夜の部・「先代萩」・御殿・床下、 「口上」
更新日時:
2001/04/11 
 「先代萩・御殿」の御簾が上がった時の鴈治郎の政岡の立姿。政岡の風格十分、しかも年齢を感じさせない若さに満ちている。念願の藤十郎襲名が決まったことで気合いが入り、身体に若々しさが漲ってきたのであろうか、だとしたら上方歌舞伎将来のために喜ばしい。
 
 歌右衛門亡き後、政岡と「吉野川」の定高はこの人をおいて他にない。玉三郎、福助ではまだまだ年齢、風格ともにその域には達していないからである。
鴈治郎の舞台を見ていつも思うことだが、行儀の良さ。忠臣蔵九段目「山科閑居」の戸無瀬、「伊勢音頭」のお紺は言うに及ばず、今回のように相手が子供の場合でも行儀がいい。
 
 政岡の性根は幼主・鶴喜代への忠誠心とわが子・千松への愛情の発露にあるが、子供ふたりのせりふの間、臣として母としてじっと聞く姿にこの人の行儀の良さと役者人生に思いを馳せてしまう。
この人とて、扇雀時代は女出入りが激しく随分と艶聞を流したものである。
 
 御殿は別に「飯炊き(ままたき)」と言われ、幼主の毒殺を懼れて御殿で飯を炊くのであるが、米をとぐときの手つき。容器に生米と水が入っているのが見えてきそうな手さばきである。
 
 ただ一点、飯炊きの手を休めてふたりの子供に唄を口ずさむところ。この唄はすべて女声で通すほうがよい。例の「でかしゃった」からの見せ場で、太い男声で「でかしゃった」と言う効果と好対照である。
「でかしゃった」の繰り返しの中でこの一度だけの男声の「でかしゃった」は政岡の性根を見事にあらわして見る者の心を打たずにはおかない。
 
 ほかには田之助の八汐。八汐は立役が演じるほうが残忍さが表に出て、千松のあわれさ、母・政岡の悲哀と憤りがよりいっそう際立つのだが、さすが田之助、悪婆ものでも大いに見せ場を作る器用さを持つ役者の本領を発揮して上出来。見ていて腹が立った。
栄御前の秀太郎は「でかした八汐」からが良く、役柄の風格も出る。それまでの栄御前は管領家の名代としての大きさにやや欠ける。大家の女房はこの人の仁にはないのかもしれない。うまい人なので惜しい気がした。
 
 「床下」我當の男之助は手の内、舞台一杯に男の剛毅が漲る。
 
 仁木の仁左衛門は以前よりさらに妖気が漂ってよいのだが、あの不気味な笑みをもう少し誇張してもらいたかった。国崩しの実悪は肚で演じるが、映画やテレビと違い大写しがない。そこで見得なのだが、仁木はかなしいかな、大袈裟な見得は切れない宿命。それゆえ肚であるが、花道の引っ込みで十分肚を見せる力を持った人なので、あの笑みだけは見せてほしかった。
 
平成九年四月松竹座・夜の部「先代萩」の仁木のほうが迫力では勝っていたと思う。
仁木はこの人が随一であるので余計そう思った。
 
 
「口上」
 
 十代目三津五郎襲名披露の口上である。
「口上」に絶対欠かせない役者がいる。菊五郎である。この人が口上でしゃべると抱腹絶倒、何故こんなに面白いのかと思うほど面白い。
ほかにも左団次、仁左衛門、団十郎、勘九郎など、口上でユーモアたっぷりに話す役者はいるが、菊五郎は別格。
仁左衛門が「わたしの仁木はせりふがございません。それで、是非ともせりふのある昼の部「寺子屋」の武部源蔵を御覧に、また足をお運び下さい」と独特のおかしみを込めた調子で客を笑わせた後、菊五郎。
しかし、「床下」の仁木にせりふがあったらどうなるのでしょう?と感じさせない面白さ、仁左衛門の人柄であろう。
 
 平成十年四月松竹座・十五代目仁左衛門襲名披露の口上で、左団次が「菊五郎さんと浪速の町を夜な夜な出歩き、役者修行に励んでおります」という挨拶の後を引き継ぎ、「え〜、ただいま御紹介に預かった菊五郎でございます。左団次さんもおっしゃったように毎晩出歩いておりますが、上方歌舞伎の真髄と、和事の奥義を究めるために毎晩大阪の夜の町に繰り出しております」と絶妙の語り口と間で言った時、場内爆笑の渦。
 
その菊五郎、今回どんなことを言うか楽しみにしていた。
「十代目三津五郎さんは、去年いろいろありましたせいか、最近料理と洗濯をご自分でなさってるようで、アイロンかけなどとてもお上手になられて誠に結構でございます。これを今後芸道に生かしてご精進されることをお祈り申しあげております。いずれもさまもどうかご贔屓くださいますように」。
 
口上はやはり菊五郎に限ります。
 
 


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