14   2001年4月松竹座昼の部・「石切梶原」 「二人道成寺」 
更新日時:
2001/05/16 
 「石切梶原」
 
 源氏の武将で一騎当千といわれた梶原景時である。鴈治郎の梶原を見たのは1994年(平成五年)11月、平安建都1200記念の南座顔見世・東西合同大歌舞伎・昼の部の時であった。
 
 あれから7年早いものである。鴈治郎の「石切梶原」をみたのはその時が初めてで、束ねた懐紙を口にくわえ、一枚一枚はらはらはらと、口と歯だけを使ってめくるその芸に息を飲んだのが昨日のことのように思い出される。
さて、その梶原であるが、さすがにこの仕種は口慣れたもの、ほかにこれだけうまくやれる人はいない。98年7月松竹座夜の部で団十郎の梶原も見たが、その時は懐紙が一度に四、五枚めくれて、おかしかった。
この仕種の決まる決まらないでは大違い、後の見せ場に差が出る。
「梶原ごとき」のせりふからは鴈治郎の独壇場、息のつめ方といい、一気呵成のせりふの切れの良さといい、劇場のすみずみまで気がいって上出来、69歳という年齢はウソであろう。この若さ、ふだん何を食べているのだろう。
 
 ふたつ胴の見せ場での剣さばきは無類のうまさ。竹光が真剣に見えて大迫力。この人の真価が発揮された。
ただ一点、赤っ面の弥十郎に「ちかごろもって」と言うところから「土屋主税」になってしまい、ややつや消し。
 
 我當の大庭は手の内。高くよくとおる声も役柄にあっていた。
 
 吉弥の六郎太夫は花道の七三で言うせりふ「なんぼ遅うなっても大事ないのじゃ」のところは見事。
死を覚悟した老人のこころがその一語に滲み出て上出来。
上記の南座顔見世のとき、吉弥は囚人呑助だった。死刑を宣告された囚人役をこの人独特の滑稽味で演じていた。ああいう味も吉弥は得意。貴重な脇役である。
 
 孝太郎の梢(六郎太夫の娘)は以前より可憐さが出た。役の柄を見極めたのであろう。
しかし、二度目の花道の出の後、舞台下手で言うせりふ「ひかえませぬ」は思い入れ不足。叫べばよいというものではない。
変に叫ぶと声が割れてなおよくない。もっと息をつめて言わねばならぬせりふであろう。
将来、我童という女形の大名跡を継ぐさだめゆえ、さらなる精進を願ってやまない。
 
 進之介の奴駒平は気合不足で平凡。8年前のほうが乗りは良かったように思う。
 
 
 「二人道成寺」
 
 二世芝翫と二世富十郎が天保6年(1835)に大坂角の芝居で初演した。
 
 人気を二分するような役者が各々白拍子花子を踊るが、今回のように親子で踊る場合もある。
 
 いまの芝翫が「京鹿子娘道成寺」を踊るときは聞いたか坊主の役を勘九郎がご馳走で出たりするが、今回は菊五郎親子なのでそれはない。
ご承知のように、勘九郎の奥さん好江さんは芝翫の次女。
 
 「鐘に恨みは数々ござる」の長唄から踊りは展開する。
この長唄の大曲の見所は、所作事の序破急をいかにあでやかにムダな動きを見せず踊り通すかという事にあるのだが、菊五郎は熟達の域に達しているので言うことなし。
問題は菊之助。
 
 菊之助も以前と違い女の顔を上手につくるようになったので、血の配剤による美しさが出てよいのだが、まだ腰が高い。
あの玉三郎が自らの腰の高さをうまいことごまかして踊るのと対照的。
これさえ何とかなったら、踊りに切れが出るのにと思う。
手鞠の振りは上手くなった。稽古熱心な菊之助のことゆえ、腰高もそのうち解消され、いつか真価を発揮する日も来るだろう。
 
 〜花の都は」からの踊りは動きにムダが多い。目の使い方に留意するあまりそうなったのであろうか。
目の使い方とからだの動きを両立するのは所作事の基本。しかし、基本がいちばん難しい。
 
 さて、菊之助のあと菊五郎。
上手からの出で女そのもの。あでやかさ、色気ともに十分。動きにもムダがない。
〜誰に見しょとて紅かね附きょぞ」からの手拭いさばきの色気とやるせなさったらなかった。
当たり前のことだが、目の動きとからだの動きとがハーモニーを奏で、溶けあい、所作事の講釈も何処かへ吹っ飛ぶ巧みさはこの人のもの。
そして、後姿の匂うような色気、劇場一杯に熟した女の香りが漂う。
しなだれかかる仕種のぞっとする表現力はこの人と、「二人椀久」・松山太夫の玉三郎が出色。
それにしても、出色とはよくいったものである。
 
 いつだったか、NHKのバラエティ番組に菊五郎が出演したことがあったが、司会者から好きなせりふはと訊かれて、「色にふけったばっかりに」(仮名手本忠臣蔵・六段目・勘平のせりふ。勘平は菊五郎の当たり役)と言っていたのを思い出した。
 
 こういう役者は今後ますます少なくなるだろうと思うと、妙に寂しくなった。
昔日のおもいしきりである。
最後の鐘上に立つ菊五郎の妖しさは本物。男に恨みを抱く魔性の女が色濃く出ていた。
菊之助も鐘上にいるのだが、これはご愛嬌。
 
 菊五郎の奥さんが「夫は家に帰って来ない、お金はない」などと言っていた事もあったが、菊五郎は千両役者。
 
 千両役者とは、……千両稼いで万両使う役者のことをいう。
 
 
 


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