13   2001年5月松竹座 「怪談敷島譚」
更新日時:
2001/05/16 
 「かいだんしきしまものがたり」と読む。河竹黙阿弥が三世沢村田之助のために書き下ろした通し狂言で、明治2年守田座で初演。田之助は脱疽(だっそ)を病み、すでに片足を切断していたが、それでも遊女敷島と女将お玉の二役を、早替わりで凄艶に演じたという。
三世田之助は、その後さらに脱疽が悪化し、四肢すべてを失った。しかし、すさまじいいばかりの執念を燃やし舞台に出たが、明治11年、発狂して没した。
 
 その後、大正9年大阪・浪花座で二世延若が復活再演。この時延若は、敷島の恋人十三郎もやり、三役早替わりとなった。そして、昭和43年大阪・朝日座にて坂東竹三郎、片岡孝夫が48年ぶりに上演して以来の再演となる。
 
 黙阿弥がこの狂言を田之助のために書いたのは、片足がなく、しかも、当時絶大な人気を誇った紀伊国屋の仁(にん)と、舞台に命を賭ける情念の炎という裏付けがあっての事である。二世延若のような芸達者ならいざ知らず、今回のように染五郎ごとき若手が演じたところで、悪人の奸計にあって、非業の死を遂げる遊女の頽廃美を表出できるのか?
できるわけがない、というのが見る前から分かっていたから、いざ見てもがっかりする事はなかった。
 
 序幕、枕探し(遊女とのコトが終わり、客が寝入ったのを見計らって金を盗む。貴重品は枕の下)の罪をなすりつけられた敷島が折檻される場面がある。染五郎自体は女形の発声、セリフ廻し共に決して悪くないし、初めての座頭の責任感という重みも加わって、気合いを入れて演じているようにも思うのだが、いかんせん経験不足。
 
 折檻されるあわれさ、むごさが見る者に伝わってこない。インパクト不足で面白くない。歌江の遣手婆・お爪は堂にいったもの。あくどさ、品のなさがうまく出ていて見応えがある。吉弥(上村)の遊女・誰袖は手のうち、同僚の敷島を気遣う役の様子がよい。
 
 「お郭(さと)が知れる」というのは、要するに郭(くるわ)出身であるということ。まして、敷島は現役の遊女である。何気ない身のこなしとか言葉使いで、かつては遊女であった事がわかるという意味である。
郭の色模様、痴情関係が、表面には露骨に出なくとも、そこはかとなく匂ってくるような舞台とはほど遠い。
 
 第二幕は「四谷怪談」の隠亡堀の場とうりふたつ。これはこれでまあまあといったところ。ただ、このあたりから染五郎の三役早替わりが頻発。ようやく客の目が舞台に集中する。
 
 第三幕の前半は十三郎の夢模様である。ここは「二人椀久」の椀屋久兵衛と松山太夫の色模様の亜流。死んだ敷島が、死しても男に寄せる思いのその丈をあらわす場面。男との思い出、それは主に男のからだが恋しいという思いなのだが、はらはらとこぼれる思慕の情の表現力不足。
 
 大詰の本水を使った雨はよかった。序幕から出ている梅玉の源四郎にふれるのが遅くなったが、梅玉あってこそこの狂言の立つ瀬があった。色悪にぴったりの仁、この人ならではの味も出て上出来。
 
 今回の見所は、結局の所、染五郎の三役早替わりの素早さ、梅玉の味と仁のよさ、吉弥の様子のよさ、それと、錦吾の漁師・五平次の手堅さであると思う。
 
 


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