12   2001年7月松竹座昼の部 「慶安太平記」
更新日時:
2001/07/03 
 江戸時代におきた慶安事件(1651)の実録を河竹黙阿弥が歌舞伎用に脚本化し、明治3年初演された。主役・丸橋忠弥は初代左団次が演じている。近年では昭和35年明治座の羽左衛門以来30年以上途絶えていたものを、平成4年歌舞伎座で団十郎が演じ、今回9年ぶりで橋之助が忠弥をやる。
 
 勿論、この狂言、私も初めて見る。橋之助という役者、時代物は滅法うまいが、世話物はお世辞にもうまいとは言えない。勘九郎なんかは義兄ゆえ遠慮がないから、世話物で橋之助と共演したときはきついダメ出しをしているようである。
 
 橋之助のどこがよくないのかと言うと、世話でくだけた仕草とせりふ回しが堂に入っておらず単調で平坦。あれだけ勘九郎と同じ舞台に立っているのだから、世話のせりふ回しを義兄から学習・会得できないものかと不満でならない。
 
 さて、第一幕の江戸城お堀端・屋台の酒屋でいっぱいひっかけている中間数人のひとりが、忠弥から酒をおごられ「この旦那のようなお方に天下を取らせたいねえ」というせりふは唐突すぎて感心しない。
黙阿弥がいくら当時の新作物とはいえ、途中を端折って、こんな突飛なせりふを大事の場面で言わせるとは思えない。補綴(ほてい)の仕方の拙さであろうか。
 
 この場面では、屋台の亭主が忠弥のなりを見て飲み逃げされるのではという疑念を抱くのであるが、そういう嫌疑をかけられるだけの野卑と落ちぶれに乏しく、ふたりの演技がかみ合わない。
 
 さらに、犬を追うふりをして堀に小石を投じ、堀の深さをはかるという見せ場があるのだが、イヤホン・ガイドで説明を聴いている人はいざ知らず、一般の客に石を投げる意味が分かるだろうか。昔の東映時代劇を見慣れている人なら分かるであろうが。
 
 また、染五郎の松平伊豆守が忠弥の挙動不審を見とがめる演技は思い入れ不足。知恵伊豆と忠弥は、ただの通りすがりではないのである。
 
 第二幕は忠弥内の場(自宅)。ここでも忠弥は大酒をくらい、女房役・福助の父、舅役の吉弥からことば汚くとがめられる。
忠弥は「忠臣蔵」の由良之助ではない。由良之助の肚(はら)は忠義であるが、忠弥のそれは天下転覆である。大義も名分も胸におさめ、肚で演じることを余儀なくされるのだが、その肚が薄いのである。
 
 総じてここまでは、仕所(しどころ)のほとんどがその効果を発揮せず、女房役の福助とも息が合わず、補綴でせりふを端折ったせいか突拍子の連続でつまらない。
 
 ところが、歌舞伎というのは本当に分からないもので、第二幕の最後、それまでのかったるく眠気を催す芝居が一変する。
とても同じ役者のものとは思えない。終幕近くになって目が覚めた。捕り手との立ち回りは、今まで見てきた歌舞伎の立ち回りの中で最高の出来。捕り手の動きはリアルだが、、歌舞伎の様式美を踏襲しながら鋭さと美しさを両立させた。
 
 「弁天小僧」のがんどう返しでの大立ち回り、「義賢最期」の戸板を使った立ち回りと観音倒れ、猿之助のスーパー歌舞伎での屋台崩しなどを含む大立ち回り、橋之助、染五郎の「小笠原騒動」での水車小屋の立ち回りなど、ドキドキする立ち回りは数多いが、「慶安太平記」の橋之助のは、そのすべてを凌駕してあまりある。
 
 やっとここへ来て橋之助の面目躍如、上上吉の出来映え、日本一の立ち回りといっても過言ではない。
これは必見中の必見、客席は驚きと歓声の坩堝(るつぼ)と化しました。
 
 見る機会のある方は、ぜひ御覧ください。
 
 


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