10   2001年7月松竹座夜の部 「俊寛」
更新日時:
2001/07/09 
 
 浅黄幕が切って落とされたとき、舞台背景の白波を目にした客から「ワァっ」と歓声があがる。面白いものは最初の三分で面白さの予兆がある。
 
 仁左衛門・俊寛の下手からの出。それはすでに絶海の孤島・鬼界ヶ島の流人、僧・俊寛そのものである。流木で作った粗末な庵に入る様子、入ったのちの緩慢な動きが大道具に溶け込み秀逸。
 
 〜〜、さて、庵に参ろう」までのせりふ回しと仁左衛門独特の野太い声、口跡のよさに耳をそばだて聞き惚れる。
 
 孝太郎の千鳥は思いのほか上出来。染五郎の成経の恋人役であるが、成経の都育ちとは対照的な島育ち、全くの不釣り合いのカップルの一方を、滑稽味を見せながら演じている。
 
 俊寛の媒酌で、このカップルが夫婦盃を交わすという設定は、舞台にわずかながら彩りを添えるとともに、その後の主人公の運命を予感させる。近松の技量である。成経こそが俊寛の悲劇の張本人なのだから。
 
 千鳥の愁嘆場で、「もののふは人のなさけを知るというが」のせりふから、例の義太夫の名せりふ「鬼は都にあれるという〜〜」が入る。ここはいつ聞いても感心する。
 
 勘九郎も団十郎も幸四郎も俊寛をやったが、仁左衛門の俊寛が一番、情感の細やかなること随一。都で妻が斬られた、都に帰っても妻は死んでいない、そのような都に帰っても仕方ないではないかと自分に言い聞かせ、千鳥を自分の代わりに都へ行かせようと決心する。
その諦めと孤独感、若い者に仕合わせを与えようとする感情表現がうまいのである。俊寛は究極の愛妻家である。
 
 この狂言は俊寛というひとりの男の魂のドラマである。そのかぎりにおいて、世代と時代を超えて普遍的説得力をもつ。俊寛を見ていると、演劇と文学の違いがよく分かる。文学は重いだけでも後世にのこりうるが、歌舞伎は重いだけではのこらない。
 
 「親子は一世、夫婦は来世があるものを」という千鳥のせりふ、これは本来は俊寛のこころにあるせりふであるが、近松はわざと千鳥に言わせている。俗にいう「親子は一世、夫婦は二世」ということばの意味が深く理解できるせりふである。
 
 来世も夫婦でありたいという願望、それこそが究極の夫婦の姿ではないだろうか。だから夫婦は二世なのだ。
 
 終幕、長年の友と別れ、ひとり孤島にのこる者の孤独。「手綱」の本当の意味が初めて分かった。人の孤独を救うのが手綱であるなら、人の孤独を決定的にするのもまた手綱であった。
 
 舟はどんどん島から離れ、舟上の声は波にかき消される。仁左衛門は、ただ耳に両手をあてるだけで、遠くに離れていく舟、そしてそれゆえの孤独を見事に表現しきった。沖に飛び散る白い波まで眼前に浮かんできたのである。また新たな発見があった。
 
 歌舞伎の名作は常に深く新しい。近松がそうであるように、名優もまた深く新しいのである。
 
  


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